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トップ > GPS > GPS - 人気ブログ(Blog)検索結果詳細 (2009年1月9日 8時)

アンパンマン。

前に、「どこの家庭でも、小言でチクチクやるのは常に妻で、夫は責められてばかり」と書いたけど、

バイキンマンも、いつもドキンちゃんに叱られてばかりだもんなあ。(今、風馬が見ている)

あの二人、いつか結婚するのだろうか。

作者:gps1999

更新日:2009年1月9日 19時14分

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仕事。

書く。ひたすら書く。朝の5:00まで没頭してしまい、保育園の送迎に起きることができなかった。

妻が雨の中、二人を連れて行った模様。申し訳ない。

しかし、家族が寝静まった夜中に、アドレナリンが出て、仕事がはかどるのも事実。

困ったものだ。

作者:gps1999

更新日:2009年1月9日 14時39分

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男の鈍感。

最近になって、妻の心の機微のようなものが少しわかってきたような気がする。

結婚して8年間、妻の心というのは、おおらかで、安定していて、芯のぶっとい「ドカーンと丸!」みたいに思ってきた。

しかし、最近、お互いに苛立ちあったり、慰めあったりしているうちに、その「丸」も決して「まん丸」ではなく、また、その「丸」の表面にも、

いろいろな「ひだ」があるのだ、ということを理解するようになった。そんなの当たり前だし、本当に今さらではあるのだけど、

8年間、あまりも平穏無事に夫婦生活を営んできたので、どうやら私は「妻」という人間をまだまだ理解できていなかったのだと思う。

これだから結婚というのは、面白い。人間を理解するということ。これ以上に、興味深く、滋養のある経験はない。

しかし、私の「鈍感さ」には、自分自身でもほとほと呆れる。

私は若いころ、それなりに少なくない女性と仲良くしてきたので、自分では「女の子の気持ちをわかる男」を気取っていた。

でも、そんなの全然勘違いだった。

      • ***---***---***

何年か前、所用があり、学生時代に付き合っていた大学の少林寺拳法部の先輩とお昼を一緒に食べたことがあった。(妻に了承を得て)

そのときに流れで、ある私の同期の女の子の話になった。

その女の子は、私の学科の同級生で、2年生のときに、急に少林寺に入部してきた。でも、どこからどうひっくり返って見ても、少林寺をやるような

タイプではなかった。そして、実際、少林寺にはまったく興味がなさそうだった。でも、練習にはほとんど欠かさず出席していた。

「不思議だよね。なんであの子、少林寺に入ったんだろう」と私は何気なく先輩に言った。

「バカじゃないの、ゴースケ」先輩は呆れたように言った。「そんなの決まってるじゃない。あの子は、あなたが好きだったのよ。

そんなこと、あなた以外、みんな分かってたわよ」と。そして「はあ」とため息をついた。

私は、ものすごくびっくりした。そうだったのか。20年目にして明かされた衝撃の事実。でも、私以外は、みんな知っていた。

      • ***---***---***

かように私は「鈍感」である。女性の心の機微をまったく理解していない。言葉の裏にある「心の動き」まで、思いが至らない。

バカ素直なので、「好き?」と訊いて「嫌い」と言われれば、額面どおり受け取ってしまう。

私は、「鈍感」ながらも、これから10年、20年、30年かけて、妻のことを、もっともっと理解していきたい。

だって、いつまでも妻に恋をしていたいから。

ちなみに妻は、今でも私に対して「あなたへの気持ちは、出会ったときから恋じゃなくて情だけどね」と公言してはばからない。

この言葉の裏に、果たして「機微」はあるのだろうか?

      • ***---***---***

追記

「人生最大の闘い」に、妻を巻き込むことにする。

迷惑をかけないように、頼るのは止めようと決めたのだが、やはり、「人生最大の闘い」である以上、最強のパートナーとともに、

この修羅場を乗り越えていきたい。

ということを今朝、伝えた。妻は承諾した。そして少し相談に乗ってもらった。道が開けつつある。さすがだ。

作者:gps1999

更新日:2009年1月8日 13時15分

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バンジー。

昔、カナダのトフィーノでバンジーを飛んだ。初めての経験だったが、何の躊躇もなく一発で頭から飛んだ。ものすごく気持ちが良かった。

あんなに心躍るアトラクションはない。

同行した妻は3回目で恐る恐る足から飛んだ。義理の息子のケンジ(仮名・元ヤン・当時18歳)は、ビビリまくって座り込んでしまい、

結局飛べなかった。

私がバンジーを楽しむことができたのは、私の自殺衝動が病的に強く、「死」をまったく恐れていないからだろう。

真面目な話し、「死にたい、死にたい」と悩んでいる人は、一度バンジーを飛んでみるといいと思う。

自分の「死にたい」という気持ちが、気のせいなのか、本物なのかがわかると思う。

今日、テレビで「バンジーの世界記録保持者」という人(外国人)を見たのだけど、「バンジーの世界記録」だったら私でも作れる。

「スペース・シャトル」からだって余裕で飛べる、と思うのは気のせいだろうか。

……うーん、でも、どうだろう。カナダで飛んだときは怖いもの知らずの独身だったけど、今は、もし妻子のことが脳裏をよぎったら、

足が動かなくなるかもしれない。今度、近場で試してみたい。でも、たぶん、残念ながら飛べるだろうな。

作者:gps1999

更新日:2009年1月7日 23時12分

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殺意。

私の背中で狂い泣く春馬(今日で9ヶ月)。マジでムカつく。本気で殺意に襲われる。自制できるか、不安。

喋ることのできない赤ん坊を、少なくとも私は「かわいい」と思うことはできない。

(他人の赤ちゃんだったら、すごくかわいいだろうけど)

喋ることができるようになるまで、あと、数ヶ月の辛抱だということは、わかっているのだが。


追記

今日の保育園の風馬の連絡帳より。

「お正月のお楽しみ会に参加しました。

春馬くんが泣いていたので、『お兄ちゃん!』と呼ぶと、そばに寄り添ってあげていました。

『風馬の赤ちゃん、春馬くんっていうんだよ』と自慢げな風馬くんでした」

うーん、風馬。泣ける。父、反省。

作者:gps1999

更新日:2009年1月7日 18時21分

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救われる。

昨晩、風馬のウンコ・オムツを取り替えているときのこと。

私の作業があまりにもガサツで、オムツ・シートにウンコが付いてしまう。そして、立ち上がった風馬がその上を歩いてしまった。

それをそばで見ていた妻がブチ切れて、「ちょっと何やってんのよ」と怒鳴る。

そして、オロオロする私があわててシートに付着したウンコを拭いていると、「もう、何でそういう拭き方をするのよ」とさらに怒鳴りつけられる。

私も頭の中が仕事のことで「戦争状態」だったので、思わず怒鳴り返しそうになる。

しかし、私が妻に怒鳴ったら、それこそ収拾の付かない事態に発展することは自明なので、ぐっとこらえる。こらえるが、精神的に余裕がないので、

頭の中にガスが充満した状態に。

その後、子ども二人を風呂に入れるが、仕事のことで頭の中がグチャグチャになっているところに加えて、さらなるストレスがかかり、

子どもの遊び相手もろくにできない。

それから、しばらくして『踊るさんま御殿』を見ていた妻が、ふと私に目を移し、

「さっきはごめん。あなたは私にあんな言い方はしないよね。子どもの前で悪かった。反省した」と言って、にっこり笑う。

救われる。

本当に、救われた。

「しゅうううううううう」と、頭の中のガスが抜けていく。

「ありがとう。きちんと言葉にして気持ちを伝えてくれて」と返事をし、妻の手を握る。

感謝。

      • ***---***---***

夫婦関係というのは、非常にデリケートだ。恋人同士と違い、生活をともにしているから、当然煮詰まるときもある。

葛藤することもある。喧嘩することもある。でも、「手を抜かないこと」。

お互いの関係性を築くことを投げてしまわずに、丁寧に作り上げていくこと。たぶん、それが肝要なのだと思う。

私にとって「離婚」という言葉は「死」よりも重い。

      • ***---***---***

追記

たぶん、どこの共働き子育て家庭でも同じだと思うのだけど、我が家でも「パパがパパじゃなくてママならいいのに」というのは、

よく口にされる冗談。(ママのほうが、ウンコの拭き方も上手だし)確かに「パパとママ」がいるよりも、「ママが二人」いたほうが、

遥かに家庭生活というのは、すみやかかつ円満に運営されるだろうとは思う。

作者:gps1999

更新日:2009年1月7日 7時28分

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今日の呟き。

感情の発露を理性で押さえつけることは良いのか、悪いのか。

どこまでが「正常」で、どこからが「異常」なのか、よくわからなくなってくる。

とりあえず、レボトミンに逃げることにする。完全なジャンキーだ。

ああ、ロッキー・バルボアよ、私に「健全な」力を。


私が頭を抱えている遠くで、妻と風馬と春馬が遊んでいる。

春馬が笑いキノコでも食べたかのように、「ケラケラケラケラケラケラ」と笑い続けている。

この上もなく「健全な」光景。私は、まだ春馬を愛せない。

作者:gps1999

更新日:2009年1月6日 20時40分

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戦争。

大晦日に、妻と「来年はお互い笑顔を忘れずに過ごそう」と約束したのに、

頭の中が「戦争状態」になってしまい、どうがんばっても「笑顔」が出てこない。

それでも、不機嫌になることなく「普通の態度」で接してくれる妻に感謝。


      • しばらくブログが「はけ口」になってしまい、うっとうしい記事が続くかもしれませんがご了承ください。

作者:gps1999

更新日:2009年1月6日 19時0分

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パニック。

今日、慣らし保育中の春馬を保育園にお迎えに行った帰りに、コンビニに寄る。

海外に出す年賀状に使うため、「20円切手」を5枚、レジにて頼む。

「すみません。10円切手しかないのですが」と言われ、切手が何枚必要なのかがわからなくなり、パニックに陥る。

しばらくレジの前に呆然と突っ立って、必死に頭の中で計算するが、答えが出ず固まってしまう。

仕方なく、「あ、じゃあ、切手はいいです」と言って、買わずに帰ってきた。

後で妻にその話をすると、「そんなの10枚に決まってるじゃない。やだ、大丈夫?」と心配される。

だいぶ頭がイカレテきた様子。

      • ***---***---***

嘔吐感が続き、食事ができない。原因は不明。

今日のBGMは、ジュン・スカイ・ウォーカーズの『全部このままで』。

作者:gps1999

更新日:2009年1月6日 12時21分

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軽躁。

下の「今年のキーワード」を読み返してみる。明らかに「軽躁状態」の「イヤ〜ン」な感じの文章だが、症例の記録として、あえて残しておくことにする。

「無私モード」(「自我よ、溶けてなくなれ」)が実生活で役に立つのは事実だが、それが使えるのは自分のコンディションが良いときだけ。

コンディションさえ良ければ、誰だって何だって言えるし、何だってやれる。問題は、コンディションが悪いときに、どう対処するかだ。

妻は私にとって釈迦よりも偉大な存在だが、たぶん、その妻でさえ、この「補記」なしで下の文章を読んだだけでは「躁病が発症している」

とは気づかず、私のことを「何か、ヤなヤツ」としか思わないだろう。

そこが「躁病」の恐ろしいところだ。「最終理論」がからむと、いつもこれで周囲を混乱させたり、周囲に迷惑をかける。

やれやれ。

頓服で飲んだレボトミンの作用で頭が朦朧としている。辛いけれど、思考能力が停止して、いい塩梅に何も考えられない。

夕食後、激しく嘔吐する。

作者:gps1999

更新日:2009年1月5日 15時54分

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今年のキーワード。

今年のキーワードは、「無私であること」。

先日、子どもたちと遊んでいるときに、ふとその感覚(自我が消える感覚)がわかった。

「自我」というのも「神様」や「国家」と同じく、所詮、コトバによって作られた人工物であり、

「自分/他者」という線引きも、「国と国」の関係と同じく、所詮、なりゆきで形成されたもので絶対的な境界線ではない。

言語がなければ、自分と他者の間に区別はない。「万物=一」である。

そもそも、「自分」(個/私)というのが単なる「認識主体」に過ぎず、「自我」が溶けてなくなれば「他者」と「私」は同じもの。

そして、究極的には「世界/宇宙」と「私」は等価である。

そう考えれば自分を取り巻く世界に対して、「怒り」や「苛立ち」を覚えることもない。

たぶん、釈迦が言いたかったのも、そういうこと。(所詮、釈迦とて一人の人間なのだから)

『THE ANSWER』の時点でロジックとして頭では理解していたのだけど、子どものおかげで「感覚的に」その雰囲気みたいなものを

把握できたような気がする。

いつでもそのような境地でいられるわけではないけれども、「無私」を思い出せば「怒り」や「苛立ち」を捨てられる(ときもある)。

「無私」と言いつつ、葛藤したり七転八倒したりはするのだろうけど、「無私」を「意識化」すれば心の平穏が訪れる。

(あまり「無私」「無私」と念じているのも何だかいやらしいが、「無私」を心の片隅に留めておくと役に立つ)

そう、私も妻も子どもたちも「同じもの」なのだ。そして究極的には、人と人、人と草木、草木と宇宙も。

恐らくは、「子育て」をしているお父さん、お母さんは誰でも無意識に、その「無私」を知っている。


追記

余談ですが、釈迦だって「男の身勝手さ」と無縁だったわけではない。当たり前だけど、釈迦だって一人の「男」だったわけだから。

結局、家庭を捨てて、自分のやりたいことをやって、それで死んだら「全部、チャラ」になっちゃうんだから、本当に「勝てば官軍」だよな、と思う。

釈迦の「育児本」とか読んでみたかった。

作者:gps1999

更新日:2009年1月5日 9時56分

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仕事はじめ。

今日から、子ども二人の保育園がはじまる(下の春馬は、まだ「慣らし保育」の段階だが)ので、本腰を入れて仕事に取り組める。とても嬉しい。

ただ、私は普段はとても温厚な性格なのだが、仕事に真剣に取り組めば取り組むほど気性が荒くなるので、特に今回の「人生最大の闘い」に関しては、

家庭平和のために、妻を巻き込まないようにしようと思う。

という話を妻にして、普通に意見を返されただけで冷静さを失いそうになる。

妻が釘を刺すだけで「がんばれ」と言えない気持ちはよくわかる。私が、がんばればがんばるほど、妻子に迷惑がかかるから。

しかし、それでも私は「がんばりたい」し、「がんばれ」と言ってほしい。そこがひどくもどかしい。

ふう、危ない、危ない。重々、気をつけなければ。「鬱病」はともかく、「躁病」の発症だけは何とか抑えなければ。

とにかく、のめりこみ過ぎたら、すぐに薬を飲むこと。妻にではなく、薬に止めてもらうこと。それさえ忘れなければ、たぶん乗り切れる。

そして、「一番は家庭、仕事は二番」ということを肝に銘じる。

作者:gps1999

更新日:2009年1月5日 0時22分

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アンパンマン。

前に、「どこの家庭でも、小言でチクチクやるのは常に妻で、夫は責められてばかり」と書いたけど、

バイキンマンも、いつもドキンちゃんに叱られてばかりだもんなあ。(今、風馬が見ている)

あの二人、いつか結婚するのだろうか。

作者:gps1999

更新日:2009年1月9日 10時14分

このブログのホーム

仕事。

書く。ひたすら書く。朝の5:00まで没頭してしまい、保育園の送迎に起きることができなかった。

妻が雨の中、二人を連れて行った模様。申し訳ない。

しかし、家族が寝静まった夜中に、アドレナリンが出て、仕事がはかどるのも事実。

困ったものだ。

作者:gps1999

更新日:2009年1月9日 5時39分

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男の鈍感。

最近になって、妻の心の機微のようなものが少しわかってきたような気がする。

結婚して8年間、妻の心というのは、おおらかで、安定していて、芯のぶっとい「ドカーンと丸!」みたいに思ってきた。

しかし、最近、お互いに苛立ちあったり、慰めあったりしているうちに、その「丸」も決して「まん丸」ではなく、また、その「丸」の表面にも、

いろいろな「ひだ」があるのだ、ということを理解するようになった。そんなの当たり前だし、本当に今さらではあるのだけど、

8年間、あまりも平穏無事に夫婦生活を営んできたので、どうやら私は「妻」という人間をまだまだ理解できていなかったのだと思う。

これだから結婚というのは、面白い。人間を理解するということ。これ以上に、興味深く、滋養のある経験はない。

しかし、私の「鈍感さ」には、自分自身でもほとほと呆れる。

私は若いころ、それなりに少なくない女性と仲良くしてきたので、自分では「女の子の気持ちをわかる男」を気取っていた。

でも、そんなの全然勘違いだった。

      • ***---***---***

何年か前、所用があり、学生時代に付き合っていた大学の少林寺拳法部の先輩とお昼を一緒に食べたことがあった。(妻に了承を得て)

そのときに流れで、ある私の同期の女の子の話になった。

その女の子は、私の学科の同級生で、2年生のときに、急に少林寺に入部してきた。でも、どこからどうひっくり返って見ても、少林寺をやるような

タイプではなかった。そして、実際、少林寺にはまったく興味がなさそうだった。でも、練習にはほとんど欠かさず出席していた。

「不思議だよね。なんであの子、少林寺に入ったんだろう」と私は何気なく先輩に言った。

「バカじゃないの、ゴースケ」先輩は呆れたように言った。「そんなの決まってるじゃない。あの子は、あなたが好きだったのよ。

そんなこと、あなた以外、みんな分かってたわよ」と。そして「はあ」とため息をついた。

私は、ものすごくびっくりした。そうだったのか。20年目にして明かされた衝撃の事実。でも、私以外は、みんな知っていた。

      • ***---***---***

かように私は「鈍感」である。女性の心の機微をまったく理解していない。言葉の裏にある「心の動き」まで、思いが至らない。

バカ素直なので、「好き?」と訊いて「嫌い」と言われれば、額面どおり受け取ってしまう。

私は、「鈍感」ながらも、これから10年、20年、30年かけて、妻のことを、もっともっと理解していきたい。

だって、いつまでも妻に恋をしていたいから。

ちなみに妻は、今でも私に対して「あなたへの気持ちは、出会ったときから恋じゃなくて情だけどね」と公言してはばからない。

この言葉の裏に、果たして「機微」はあるのだろうか?

      • ***---***---***

追記

「人生最大の闘い」に、妻を巻き込むことにする。

迷惑をかけないように、頼るのは止めようと決めたのだが、やはり、「人生最大の闘い」である以上、最強のパートナーとともに、

この修羅場を乗り越えていきたい。

ということを今朝、伝えた。妻は承諾した。そして少し相談に乗ってもらった。道が開けつつある。さすがだ。

作者:gps1999

更新日:2009年1月8日 4時15分

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バンジー。

昔、カナダのトフィーノでバンジーを飛んだ。初めての経験だったが、何の躊躇もなく一発で頭から飛んだ。ものすごく気持ちが良かった。

あんなに心躍るアトラクションはない。

同行した妻は3回目で恐る恐る足から飛んだ。義理の息子のケンジ(仮名・元ヤン・当時18歳)は、ビビリまくって座り込んでしまい、

結局飛べなかった。

私がバンジーを楽しむことができたのは、私の自殺衝動が病的に強く、「死」をまったく恐れていないからだろう。

真面目な話し、「死にたい、死にたい」と悩んでいる人は、一度バンジーを飛んでみるといいと思う。

自分の「死にたい」という気持ちが、気のせいなのか、本物なのかがわかると思う。

今日、テレビで「バンジーの世界記録保持者」という人(外国人)を見たのだけど、「バンジーの世界記録」だったら私でも作れる。

「スペース・シャトル」からだって余裕で飛べる、と思うのは気のせいだろうか。

……うーん、でも、どうだろう。カナダで飛んだときは怖いもの知らずの独身だったけど、今は、もし妻子のことが脳裏をよぎったら、

足が動かなくなるかもしれない。今度、近場で試してみたい。でも、たぶん、残念ながら飛べるだろうな。

作者:gps1999

更新日:2009年1月7日 14時12分

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殺意。

私の背中で狂い泣く春馬(今日で9ヶ月)。マジでムカつく。本気で殺意に襲われる。自制できるか、不安。

喋ることのできない赤ん坊を、少なくとも私は「かわいい」と思うことはできない。

(他人の赤ちゃんだったら、すごくかわいいだろうけど)

喋ることができるようになるまで、あと、数ヶ月の辛抱だということは、わかっているのだが。


追記

今日の保育園の風馬の連絡帳より。

「お正月のお楽しみ会に参加しました。

春馬くんが泣いていたので、『お兄ちゃん!』と呼ぶと、そばに寄り添ってあげていました。

『風馬の赤ちゃん、春馬くんっていうんだよ』と自慢げな風馬くんでした」

うーん、風馬。泣ける。父、反省。

作者:gps1999

更新日:2009年1月7日 9時21分

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救われる。

昨晩、風馬のウンコ・オムツを取り替えているときのこと。

私の作業があまりにもガサツで、オムツ・シートにウンコが付いてしまう。そして、立ち上がった風馬がその上を歩いてしまった。

それをそばで見ていた妻がブチ切れて、「ちょっと何やってんのよ」と怒鳴る。

そして、オロオロする私があわててシートに付着したウンコを拭いていると、「もう、何でそういう拭き方をするのよ」とさらに怒鳴りつけられる。

私も頭の中が仕事のことで「戦争状態」だったので、思わず怒鳴り返しそうになる。

しかし、私が妻に怒鳴ったら、それこそ収拾の付かない事態に発展することは自明なので、ぐっとこらえる。こらえるが、精神的に余裕がないので、

頭の中にガスが充満した状態に。

その後、子ども二人を風呂に入れるが、仕事のことで頭の中がグチャグチャになっているところに加えて、さらなるストレスがかかり、

子どもの遊び相手もろくにできない。

それから、しばらくして『踊るさんま御殿』を見ていた妻が、ふと私に目を移し、

「さっきはごめん。あなたは私にあんな言い方はしないよね。子どもの前で悪かった。反省した」と言って、にっこり笑う。

救われる。

本当に、救われた。

「しゅうううううううう」と、頭の中のガスが抜けていく。

「ありがとう。きちんと言葉にして気持ちを伝えてくれて」と返事をし、妻の手を握る。

感謝。

      • ***---***---***

夫婦関係というのは、非常にデリケートだ。恋人同士と違い、生活をともにしているから、当然煮詰まるときもある。

葛藤することもある。喧嘩することもある。でも、「手を抜かないこと」。

お互いの関係性を築くことを投げてしまわずに、丁寧に作り上げていくこと。たぶん、それが肝要なのだと思う。

私にとって「離婚」という言葉は「死」よりも重い。

      • ***---***---***

追記

たぶん、どこの共働き子育て家庭でも同じだと思うのだけど、我が家でも「パパがパパじゃなくてママならいいのに」というのは、

よく口にされる冗談。(ママのほうが、ウンコの拭き方も上手だし)確かに「パパとママ」がいるよりも、「ママが二人」いたほうが、

遥かに家庭生活というのは、すみやかかつ円満に運営されるだろうとは思う。

作者:gps1999

更新日:2009年1月6日 22時28分

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今日の呟き。

感情の発露を理性で押さえつけることは良いのか、悪いのか。

どこまでが「正常」で、どこからが「異常」なのか、よくわからなくなってくる。

とりあえず、レボトミンに逃げることにする。完全なジャンキーだ。

ああ、ロッキー・バルボアよ、私に「健全な」力を。


私が頭を抱えている遠くで、妻と風馬と春馬が遊んでいる。

春馬が笑いキノコでも食べたかのように、「ケラケラケラケラケラケラ」と笑い続けている。

この上もなく「健全な」光景。私は、まだ春馬を愛せない。

作者:gps1999

更新日:2009年1月6日 11時40分

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戦争。

大晦日に、妻と「来年はお互い笑顔を忘れずに過ごそう」と約束したのに、

頭の中が「戦争状態」になってしまい、どうがんばっても「笑顔」が出てこない。

それでも、不機嫌になることなく「普通の態度」で接してくれる妻に感謝。


      • しばらくブログが「はけ口」になってしまい、うっとうしい記事が続くかもしれませんがご了承ください。

作者:gps1999

更新日:2009年1月6日 10時0分

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パニック。

今日、慣らし保育中の春馬を保育園にお迎えに行った帰りに、コンビニに寄る。

海外に出す年賀状に使うため、「20円切手」を5枚、レジにて頼む。

「すみません。10円切手しかないのですが」と言われ、切手が何枚必要なのかがわからなくなり、パニックに陥る。

しばらくレジの前に呆然と突っ立って、必死に頭の中で計算するが、答えが出ず固まってしまう。

仕方なく、「あ、じゃあ、切手はいいです」と言って、買わずに帰ってきた。

後で妻にその話をすると、「そんなの10枚に決まってるじゃない。やだ、大丈夫?」と心配される。

だいぶ頭がイカレテきた様子。

      • ***---***---***

嘔吐感が続き、食事ができない。原因は不明。

今日のBGMは、ジュン・スカイ・ウォーカーズの『全部このままで』。

作者:gps1999

更新日:2009年1月6日 3時21分

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軽躁。

下の「今年のキーワード」を読み返してみる。明らかに「軽躁状態」の「イヤ〜ン」な感じの文章だが、症例の記録として、あえて残しておくことにする。

「無私モード」(「自我よ、溶けてなくなれ」)が実生活で役に立つのは事実だが、それが使えるのは自分のコンディションが良いときだけ。

コンディションさえ良ければ、誰だって何だって言えるし、何だってやれる。問題は、コンディションが悪いときに、どう対処するかだ。

妻は私にとって釈迦よりも偉大な存在だが、たぶん、その妻でさえ、この「補記」なしで下の文章を読んだだけでは「躁病が発症している」

とは気づかず、私のことを「何か、ヤなヤツ」としか思わないだろう。

そこが「躁病」の恐ろしいところだ。「最終理論」がからむと、いつもこれで周囲を混乱させたり、周囲に迷惑をかける。

やれやれ。

頓服で飲んだレボトミンの作用で頭が朦朧としている。辛いけれど、思考能力が停止して、いい塩梅に何も考えられない。

夕食後、激しく嘔吐する。

作者:gps1999

更新日:2009年1月5日 6時54分

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今年のキーワード。

今年のキーワードは、「無私であること」。

先日、子どもたちと遊んでいるときに、ふとその感覚(自我が消える感覚)がわかった。

「自我」というのも「神様」や「国家」と同じく、所詮、コトバによって作られた人工物であり、

「自分/他者」という線引きも、「国と国」の関係と同じく、所詮、なりゆきで形成されたもので絶対的な境界線ではない。

言語がなければ、自分と他者の間に区別はない。「万物=一」である。

そもそも、「自分」(個/私)というのが単なる「認識主体」に過ぎず、「自我」が溶けてなくなれば「他者」と「私」は同じもの。

そして、究極的には「世界/宇宙」と「私」は等価である。

そう考えれば自分を取り巻く世界に対して、「怒り」や「苛立ち」を覚えることもない。

たぶん、釈迦が言いたかったのも、そういうこと。(所詮、釈迦とて一人の人間なのだから)

『THE ANSWER』の時点でロジックとして頭では理解していたのだけど、子どものおかげで「感覚的に」その雰囲気みたいなものを

把握できたような気がする。

いつでもそのような境地でいられるわけではないけれども、「無私」を思い出せば「怒り」や「苛立ち」を捨てられる(ときもある)。

「無私」と言いつつ、葛藤したり七転八倒したりはするのだろうけど、「無私」を「意識化」すれば心の平穏が訪れる。

(あまり「無私」「無私」と念じているのも何だかいやらしいが、「無私」を心の片隅に留めておくと役に立つ)

そう、私も妻も子どもたちも「同じもの」なのだ。そして究極的には、人と人、人と草木、草木と宇宙も。

恐らくは、「子育て」をしているお父さん、お母さんは誰でも無意識に、その「無私」を知っている。


追記

余談ですが、釈迦だって「男の身勝手さ」と無縁だったわけではない。当たり前だけど、釈迦だって一人の「男」だったわけだから。

結局、家庭を捨てて、自分のやりたいことをやって、それで死んだら「全部、チャラ」になっちゃうんだから、本当に「勝てば官軍」だよな、と思う。

釈迦の「育児本」とか読んでみたかった。

作者:gps1999

更新日:2009年1月5日 0時56分

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仕事はじめ。

今日から、子ども二人の保育園がはじまる(下の春馬は、まだ「慣らし保育」の段階だが)ので、本腰を入れて仕事に取り組める。とても嬉しい。

ただ、私は普段はとても温厚な性格なのだが、仕事に真剣に取り組めば取り組むほど気性が荒くなるので、特に今回の「人生最大の闘い」に関しては、

家庭平和のために、妻を巻き込まないようにしようと思う。

という話を妻にして、普通に意見を返されただけで冷静さを失いそうになる。

妻が釘を刺すだけで「がんばれ」と言えない気持ちはよくわかる。私が、がんばればがんばるほど、妻子に迷惑がかかるから。

しかし、それでも私は「がんばりたい」し、「がんばれ」と言ってほしい。そこがひどくもどかしい。

ふう、危ない、危ない。重々、気をつけなければ。「鬱病」はともかく、「躁病」の発症だけは何とか抑えなければ。

とにかく、のめりこみ過ぎたら、すぐに薬を飲むこと。妻にではなく、薬に止めてもらうこと。それさえ忘れなければ、たぶん乗り切れる。

そして、「一番は家庭、仕事は二番」ということを肝に銘じる。

作者:gps1999

更新日:2009年1月4日 15時22分

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