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トップ > 83 > 83 - 人気ブログ(Blog)検索結果詳細 (2009年1月9日 10時)

戦死した兵士の日章旗、奥様の元へ

先に「新たな戦争遺留品(F093)」でご協力をお願いしました日章旗
の持ち主の身元が、厚生労働省の調査により判明し、このほどアメリ
カから青森県のご遺族に返還されました。

持ち主だった逢坂岩蔵様は、歩兵第126連隊所属の陸軍伍長でしたが、
中国戦線からフィリピンへ転戦、1945年7月、フィリピン・レイテ島
にて戦死されました。

当初アメリカ側の情報では、この旗はガダルカナルで取得されたとの
ことでしたが、寄せ書きにはご家族の名前も記されており、逢坂様が
持っておられたものに間違いなく、取得した米兵の記憶違いかと推察
されます。

旗にも署名されています逢坂様の奥様は、87歳のご高齢ですが幸いご
健在で、またご長男は1歳の時父上が出征されたとのことで、顔もま
ったく憶えていないとのことです。遺骨も遺品もなく、63年ぶりに帰
ってきた遺品にたいへん感激されていました。

そもそもアメリカの保管者がこの旗を返そうと思い立ったのは、息子
さんが今年の夏学生親善大使として訪日することになり、できればそ
の機会にご家族にお渡ししたいということで、当方へ協力の依頼があ
ったものです。

ところが奥様がご高齢の上健康も害されているので、ご遺族としては
できればなるべく早く返してほしいとのご希望があり、アメリカ側も
快く応じていただき、早期の返還となりました。

ご遺族も、この夏息子さんが訪日されたときは、ぜひお礼をしたいと
心待ちにされています。この旗が日米の親善と平和のシンボルとなる
ことを願っています。

作者:西羽 潔

更新日:2009年1月8日 19時29分

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七草粥

今日は七草粥の日、皆さんはもう召し上がりましたか? これは古く
から伝わる慣習ですが、お正月のご馳走から胃を休めるという生活の
知恵でもあり、すっかり定着しているようです。

しかし私は七草粥を食べる度に、戦中・戦後の食糧難の時代を思い出
します。当時は米不足からしだいに固いご飯が食べられなくなって、
主食ももっぱらお粥になっていきました。それも七草粥といった風流
なものでなく、その辺の雑草を引っこ抜いて入れたものでした。

しかしそのお粥もだんだん薄くなり、芋などを入れて不足を補ってい
ましたが、ついには飯粒もなくなり、芋だとかすいとんなどになりま
した。

毎年七草粥を祝うたびに、あの食べ盛りのころの辛い思い出がよみが
えってきます。ネットを検索しますと、次のような句が見つかりまし
た。

食糧難を思い出しつつ七草粥

作者:西羽 潔

更新日:2009年1月7日 15時3分

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勝ち抜く僕ら少国民

今日の産経新聞のコラム「正論」に、敗戦のとき国民学校3年生であ
ったという立命館大学教授の加地伸行氏が、久しぶりの同窓会で、当
時の唱歌を「勝ち抜く僕ら少国民、天皇陛下のおんために、死ねと教
えた父母(ちちはは)の…」と大合唱したとし、次のように書いてい
ます。

< それから茫々(ぼうぼう)60年余、この老骨、皇室への敬意は
変わらない。>


井上俊夫さんの遺作「詩集 八十六歳の戦争論」には、次のような一
節がありました。

当時の国民はみんな天皇の赤子だった
だから天皇のおんために死ぬのが当然とされていた。
それにしても老いも若きも見事なまでに
皇国史観と軍国主義に染め上げられていたものよ。

それも一朝一夕に染められたのではなく
梅干を作る際、青梅がじわじわと赤くなっていくように
幼い時から受けてきた天皇制教育により
徐々に、けれども確実に染められていったのだ。

だから戦争が終わって六十有余年にもなるこんにち
いまだに梅干のようなアタマを
後生大事に持っている人が大勢いる。

「梅干の壷を覗きながら」より

作者:西羽 潔

更新日:2009年1月6日 20時54分

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新たな戦争遺留品(F095)

F095

今年になって初めての戦争遺留品返還の協力依頼がありました。米ワ
シントン州の MATTHEW J. MILLER という人からの依頼ですが、硫黄
島、沖縄と転戦した父上が持ち帰った物だそうです。

この旗の寄せ書きには、残念ながら固有名詞はなく、その他の書き込
みにも手がかりになるような文字はありませんので、所有者を特定す
るのははなはだ困難と思われますが、「旧日本軍人の遺留品」の「日
章旗 (F051~ ) 」のページにに、F095として掲載しましたので、ご
覧の上、何か手がかりになるような情報がありましたら、ぜひお知ら
せください。

なお昨年中に寄せられました戦争遺留品の情報は25件となり、また返
還が実現したケースは8件、他に目下返還手配中のケースが2件となり
ました。皆さんのご協力に感謝申し上げると共に、今年もよろしくお
願いするしだいです。

作者:西羽 潔

更新日:2009年1月4日 13時24分

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日の丸・君が代訴訟を巡って(齊藤園生)

「マスコミ九条の会」のサイトに、日の丸・君が代訴訟の弁護士であ
る齊藤園生氏が寄稿し、東京都の教育現場で教育委員会の締め付
けが厳しくなってきているのを憂いています。

< このままではこの国はどこまで行ってしまうのだろう、本当に戦
前と同じように、官製教育が全国に広まってしまい、子どもたちの頭
まで国家が支配する時代がまた来るのだろうか。私はとても心配なの
である。>

この国はどこに行くのだろう ―日の丸・君が代訴訟を巡って―」

作者:西羽 潔

更新日:2009年1月3日 10時13分

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田母神論文と自衛隊の現状(小西誠)

今日の日刊ベリタに元自衛官で反戦活動家の小西誠氏が、<田母神論
文の背後にあるのは自衛隊の歴史に連綿として流れる「旧軍」思想を
受け継ぐ制服組のよる政治的決起である>と読み解く一文を寄稿して
います。

《田母神論文と自衛隊の現状》 狙いは制服組の「軍部」化 小西


作者:西羽 潔

更新日:2009年1月1日 15時54分

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広島での被爆体験 もう一つの「はだしのゲン」

去る28日に宮崎市で開かれました原爆と戦争・宮崎空襲展を成功させ
る会主催「第32回戦争体験を語り継ぐ三世代交流の集い」で、中津
園子さん(72)が広島原爆の被爆体験を語りました。

今日の JanJan に、その動画が掲載されていますので、ご覧ください。

「【戦争を語り継ぐ】広島での被爆体験 もう一つの『はだしのゲン』
を語る・映像


作者:西羽 潔

更新日:2008年12月31日 12時22分

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