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トップ > マクドナルド > マクドナルド - 人気ブログ(Blog)検索結果詳細 (2009年1月7日 9時)
ピノキオ
今朝見た毒ワニに咬まれた夢のせいか、天気も悪く寒かったせいもあり、
朝からちょっと元気なく会社に向った。
何時ものなら歩いて行くところも、今朝はそんな元気も無くバスに乗る。
そんな冴えない気分に追い討ちを掛けるように社長から電話があり、
1月以降の話しがポシャッタと連絡が入る。
残る話も具体性も無く、そうなると今月一杯で再び無職となってしまう。
一段と力が抜けそうになりながら、慌てて今まで以上に下手な鉄砲の如く応募するが、
そんなに上手い事行かないのも、今までの経験で分かっている。
それでも、そうなった場合の最悪のシナリオなどは今考えたくも無く、
ただひたすら応募するしかない。
そんな気の抜けたような感じで一日が終わり、家に帰ると『ピノキオ』が放映されていたので、
何十年被りにチラッと見ていた。
ピノキオは勉強も努力も嫌いで、青い髪の妖精や話しをするコオロギの忠告も聞かず、
直ぐに美味しい話に騙され苦難に遭遇する。
まるで俺じゃない・・・子供の頃もっと妄信してこの話しを見ていたら、
きっと今よりはましな暮らしをしていただろう。
ーと、余りにも遅過ぎる認識に後悔と脱力感が入り混じり、切なくさえ思えた。
そんな教訓めいた童話や昔話は沢山見て来た筈なのに、
この俺ときたら、親や先生達の話しにろくに耳も貸さず、
童話が優しく教えてくれていたのに、その時だけ良い子になって分かった振りをして終わっていた。
親の心子知らず・・すまん!と謝りたくとも、孝行したい時に親はなし・・だ。
愚か者よのぉ...。
童話は幾多の苦難があろうが、それでも乗り越えハッピーエンドで終わるけれど、
現実はそう甘い結末を用意をしていてはくれない。
テレビの向うに映っていた派遣社員の首切りが、
リアルな現実となって俺をブラウン管の向う側に連れて行こうとしている。
漠然と不安を覚えていた河川敷のブルーシートが、ヒタヒタと音も無く近付いて来ている。
そんな悪夢は夢で終わって欲しいけれど、怠けて悪さばかりして来たピノキオは、
その悪夢から逃れる手立ては持っていない。
都合良く、困った時の神頼みしか出来ない。
魔法でピンチを救ってくれるブルー・フェアリーを待ち望み、
虫の良い奇跡の様なハッピーエンドをただただ待っている。
</fonot>
作者:
更新日:2009年1月8日 0時18分
初夢
そいつはとても素早く、トカゲのような体長2〜30センチの小さなワニだった。
薄緑色した、透き通ったプニョプニョした体に似つかわしくなくどう猛で、
鋭い牙には猛毒を持ち、執拗に子犬を狙って襲い掛かっていた。
俺は棒で振り払い、なんとか子犬を守っていたけれど、
そのワニはなかなか諦めようとはせず、茂みの中から勢い良く飛び出して襲い掛かっては、
俺の攻撃をかわしてまた茂みの中に引っ込み攻撃のチャンスを覗っている。
俺は青いビニールシートを両手に広げ、防護壁にしてワニの突入を防ぎ、
時には闘牛士のようにワニを威嚇して、闘争心を失わせて退散させようとしていた。
すると、ワニの姿が突然消えた。
逃げ去ったのか?
それとも、ビニールシートにへばり付いたのか?
それを確かめるべく、シートをバタバタと煽ってみるが姿が見えない。
あれっ?・・と思った次の瞬間。
シートにへばり付いていたワニがジャンプして、俺の右手の中指に噛み付いて来た!
しまった、やられた・・・
猛毒と知っていたので一瞬観念はしたものの、そのままみすみすやられっ放しでいるわけにも行かず、
俺は夢中でワニの顎の辺りを左手で掴み、噛まれている指からその鋭い牙を外そうとするが、
ワニはその鋭く長い牙から猛毒を指に注入しようと放さない。
俺は一目一杯手にに力を入れて、ワニの口元に親指を食い込ませた。
すると、そのプニョプニョした体は呆気なく千切れ、
口を大きく裂いてなんとか指から放す事が出来、俺はワニを茂みの中に投げ捨てた。
指からワニの口を外す時、死ぬ間際のワニはふてぶてしい顔でその大きな目をギロット俺の方に向け、
もう毒は送り込んだぜ、と、言わんばかりに笑っているようにも見えた。
確かに、中指から抜けた半透明の長く鋭い牙の先からは、
無色透明の毒液らしき物が滴り落ちていた。
心の中で血清!血清!・・と叫んだものの、そんな物はある訳もなく、
俺は成す術も無く、ただ指をぎゅっと掴み毒の回るのを抑えているのが精一杯だった。
ふと、口で吸い出そうかとも思ったが、歯槽膿漏で歯茎が血で滲んでいたのを思い出し、
指で毒を搾り出すしかなかった。
そんな事をしていると毒が回って来たのか、俺の意識は徐々に遠のいて行った。
どの位暗い闇の中にいたのだろう?
ハット気が付くと、俺は野原の中に寝転んでいた。
上半身だけ体を起こして周りを見渡すと、大勢の人が耐火煉瓦を運んで炉のような物を作っている。
近寄って見ると、それは間違いなく焼き物を作る炉だった。
その制作を依頼している女の人を見ると、山のペンションのI子さんだった。
手伝ってと言われ、俺も耐火煉瓦を運び、積み上げ、炉作りに参加した。
ようやく野原の丘の中腹に焼き物の炉が出来上がり、
俺はほっと一息ついて、疲れた体を枯れた草むらの上に横にして空を見ていると、
なにやら大勢の人が集まって来て、どうやらお披露目のパーティーが始まるようだった。
出来立ての大きな炉の中に大勢の人が集まって、
中には中世の貴族のようなドレスを着ている女性もいる。
そのうちの、白いドレスを着た一人の女性が微笑みながら近付いて来て、
何やら口元が動いているけれど、俺には聞き取れなかった。
その女性が目の前に来た時夢から覚めた。
体は疲れ切っていて、休み明けたった一日出社しただけなのに、
もう体は休みたがっていた。
なんだかとても疲れた夢だった。
作者:
更新日:2009年1月7日 11時51分
苺パフェ
元日の夜、近場で営業をしている銭湯をネットで探し、
ひと風呂浴びた帰りに、ファミリーレストランによって食事をしようとメニューを見ていると、
気になる別メニューが目に止まって離れなかった。
ふと横の○さん見ると、やはりそれが気になっている様子だったので、
「頼む?」と言うと、ひとつ返事で「食べようか!」と、嬉しそうな返事が帰って来た。
そう言うと○さんは、メインの食事の事など後回しと云った感じで、
注文をする苺パフェの分量に合わせ、「俺は別腹じゃなから」と、
俺の方を羨ましそうに見ながら少な目の食事はないかとあれこれ迷っていた。
辛党のJちゃんは、そんな俺達の会話を聞きながら少し眉をしかめるように生ビールを注文していた。
今思い出してもまた食べたくなる・・甘酸っぱく口の中に広がる苺の香り。
俺は果物の中で苺が一番好きだ。
ケーキも苺のショートケーキが一番好きだし、ストロベリーシェイクも、
もちろん一粒そのままかじるのも好きだし、練乳をかけて潰して食べるのも好きだ。
そんな苺のイメージは可愛らしくて、ましてや苺パフェとなれば尚更で、
例え男同士であれ、誰か一緒にいればラッキーと注文出来るけど、
とても一人でお店に行って注文など恥かしくて出来ない。
女と二人で店に入り、俺が苺パフェを頼み女が珈琲などを頼むと、
ウェイトレスは必ずパフェは女の方に置こうとする。
そんな時手を上げて、「僕です」と言うのが気恥ずかしい瞬間だ。
そして、俺がニコニコしながら食べていると、
気のせいか周りの暇そうなおばちゃん達の視線は俺と苺パフェに注がれて、
ヒソヒソと奇異な光景を見てしまったと、陰口でも叩かれているような被害妄想も湧いて来る。
それでも、苺とアイスクリームの絶妙なマッチングはそんな物はものともせずに、
俺を甘くとろける世界に引き摺り込んでくれ、暫し幸せな時間に留めてくれる。
しかし、大の大人が・・それも男がパフェを食べているとそんなに可笑しいかな?
確かに、仕事の合間にお茶を飲みに喫茶店に入り、
スーツ姿でパフェを食べていた自分を思い浮べると絵にならないな^^;
同僚も周りの目を気にして恥かしそうだった。
やっぱり、珈琲でも飲みながら煙草を燻らせている方が様になっている。
それでも好きな物だから、絵にならなかろうが様にならなかろうが構わない。
ほっといてって感じだ。
作者:
更新日:2009年1月5日 21時18分
明日から仕事始めか・・・
新しい年が明けるといつも、漠然とした期待感と真新しいカレンダーにより
心機一転という清々しい気分になるけれど、この不況下に年齢制限という重い足枷が加わっていると、
直ぐに冷たい現実の空っ風がほろ酔い気分の目を覚ます。
明日をも知れぬ不安定さが、現実の物となって今月末に迫って来ている。
今プロジェクトが無事今月をもって終了する予定で、その後の具体的な予定は全く立っていない。
就職情報に目を通し目ぼしいものには応募はしているものの、
相変らずハードルは高く書類審査にさえ引っ掛かるものは少ない。
例え上手いこと潜り込めたとしても直ぐに定年がやって来て、
より厳しい状況に追い込まれるのは明白だけれども、
その先の事まで今考えて躊躇し選り好みをしていられる状況でもない。
資金と能力さえあれば、再び自営の道を辿るのが今考えられる一番の得策だけど、
そのどちらも無いから当て揚げ状態だ。
現実を考えれば考えるほど息が詰まるほどお先真っ暗で、
かと言って、現実逃避でその日暮らしを続ける度胸も無い。
全く何処まで行っても絶望の淵は大きく口を開け、
早く楽になっちまえよと誘い込もうとしている。
根拠があろうが無かろうが、萎みかけている胸に空気を送り込み、
当ては無くとも、漠然とした期待という二文字を胸にしたため胸を張り、
何はともあれ明日への一歩を踏み出す気力を生み出して、
何かを求めて彷徨い歩く気概を身に付けたい。
転がり落ちる事は簡単で、一旦手放した物を再び手に入れるのは至難の技だ。
それでも崖にへばり付き、風雨に晒されながらもよじ登る気力を失えば、
待ってましたと、ばかりに弱いもう一人の自分が谷底から誘い膝を折る。
何度そうやって誘いに乗り転がり落ちた事だろう。
気が付く度に辺りは薄暗くなって、厳しい道程が待ち受けていた。
それをまた避けて通っていたら、もう避ける事の出来ない崖っぷちに出てしまった。
今更という気持ちと、これ以上は勘弁だという気持ちが交錯する中、
何とか今尚持ち堪えられている。
こんな自分を予想はしていなかったけれど、
逆にまた、理想を掲げ夢を追い求めていた自分もいない。
それが今ここにいる最大の理由だろう。
楽をして、面白おかしく生きて行く中で己の生きる道や愛を求めていた。
それは、阿片窟で幻覚を見ながら哲学ごっこをしていた様な物で、
浦島太郎の如く、白い阿片の煙りの酔いから醒めて時間の経過だけを思い知る。
時という大切な事も、命の掛け買いの無さも知りつつ、
ただ怠惰に過ごしてしまった愚か者。
それが今の現状であり、薄っすら見え隠れしている末路が、
望もうと望むまいと流されて来た行く末だ。
誰を怨む事も無い、歩んで来たこの自分さえも・・・
振り返れば数限りない後悔が山となり、今となってはそれさえもが愛しく感じてしまう。
きっとこの先も、自分に甘く怠惰な夢に現を抜かし、成り行き任せに流れて行くのだろう。
それを許す自分自身を情けなくも思うが、自棄になって人の道を外れ、
人様に迷惑を掛けたり馬鹿な事を仕出かさない限り良しとしたい。
甘いな自分に・・・そんな自分さえも好きなんだよな。
そうでなければ、きっとこうして今生きてはいられなかっただろう。
夢を見て空想するのが大好きで、お金儲けが苦手なこの俺は、
この先一体どうやって生き延びて行くのだろう?
冷たい風が吹き荒ぶ中にいても、根拠の無い暖かい希望や期待の炎を燃やし続けていられるかな?
作者:
更新日:2009年1月5日 12時7分
ワンコール
まだ携帯電話など無かった時代、夜の10時以降に滅多な事では電話など出来なかった。
男友達の家でさえそうだったのだから、女の家などとんでもない話だった。
9時前の時間帯でさえ相手の父親が出ると、こいつは娘とどういう関係だ?
ーとばかりに、その取り繕った穏やかそうな口調の裏で鋭い眼光を光らせ、
出来る事ならば取り次ぐのを拒絶して、今直ぐにでも受話器を置きそうな敵対心が見え隠れしていた。
母親とはどういう訳か直ぐに仲良くなれて気楽だったのだが、
父親とは何処の家でもそんな刺々しい応対をされ苦手だった。
それでも声が聞きたい夜もある。
そんな場合の合図として、彼女とはワンコール鳴らす打ち合わせをしていた。
それもリ〜ンと鳴らすのではなく、フックに指を乗せ呼び出し音が聞こえた途端に切って、
チンッと小さい呼び鈴を鳴らす程度で切るようにして、
もし起きていたなら電話を掛け直す、という手筈になっていた。
こちらも両親に悟られないように、フックに指を乗せたまま受話器を手に折り返しの電話を待っていた。
そうすれば、呼び出し音がなる前に電話に出る事が出来るからだ。
そんな、息を殺し細心の注意を払っているつもりでも、
皆が寝静まった深夜では、ゆっくり回すダイヤルもやけに大きく響きドキドキさせる。
まるでコソドロが足を忍ばせ家捜しをしているようなそんな罪悪感と、
彼女と二人だけの秘密の時間を共有出来る期待で胸が高まり、
気が付いてくれていますように、と、祈るような気持ちで電話を待っていた。
そんな長いような短い静けさの中で受話器の中でルルツと呼び出し音が聞こえると、
嬉しさとほっとする思いでフックの上の指を素早く離した。
「どうしたの?」と、少し眠そうな彼女の囁き声が聞こえて来る。
「ごめんね、寝てた?」
「ううん」
そんなやり取りで、二人だけの秘密の時間が幕を開けていた。
なんでもない会話が特別の意味を持っている様にも思え、
ただ言葉を交わしているだけで魔法に掛っているような、
夢と現実の狭間を漂い、魂はひとつとなって夜空を舞っていた。
今では携帯電話がホットラインとなっていて、
四六時中誰に気兼ねせずとも連絡を取り合える。
それはとても便利な事だけど、何か恋する二人に儀式の様な物が足りなくて、
夢の中へと誘う回廊もなく、現実世界が受話器の向こうと繋がっている。
親や兄弟に話しを聞かれずに、素直な自分として話しをしたくて公園の電話ボックスを目指す。
水銀灯の明りの中を歩くひとつの影や白い吐息が、既に魔法の扉をくぐっていて、
これから電話を掛ける相手への気持ちを再確認させ、純粋なものだけに濾過している。
思いをしたため封をして、人の目をはばかりながらポストに投函した手紙も同様に、
お手軽なものより、手間暇掛けた事の方が気持ちも篭る。
恋する者同士にとってみれば、『どこでもドア』が一番欲しいものかも知れないけれど、
会いたくとも会えない時に、相手の事を思い描く事が気持ちを磨いているのかも知れない。
便利になった分、知らず知らずのうちにせっかちになっていて、
相手の気持ちを推し量ったり、自分の気持ちさえ整理も出来ないうちに結論を急いでいる。
優しさが足りない、思いやりが足りない。
自分ばかりが先走っている。
懐かしい黒電話を思い出していると、あの頃の自分が持っていて、
今の自分が失っているものは何なのか?
夜空の向うに探しに行きたくなって来た。
作者:
更新日:2009年1月5日 0時16分
恒例行事
年に数回ひとつのペンションで知り合った仲間達が集い、
特に年末年始は勢揃いし、賑やかな年末年始を過ごしていたのがもうかなり昔の事の様に思える。
今でも何組かのグループが入れ替わりで訪れてはいるが、
以前の様な大人数が揃う事は珍しくなってしまった。
オーナーの娘の家出離婚騒ぎがなければ、今頃もきっとその賑わいは続いていたと思う。
俺達には直接関係は無くとも、長い付き合いをしているとその傷口は無視する事も出来ず、
その波紋の広がりはペンション経営の仕方にも影響を及ぼし、
その形態の変化もあって賑わいは消えてしまった。
その代わりとして東京在住の温泉仲間が家に集うようになり、
男同士でむさ苦しい年を越すのが恒例となって早数年が過ぎた。
毎年12月の声が聞こえる時機になるとJちゃんから電話があり、
12月の30日くらいに、Jちゃんと○さんを駅まで迎えに行く。
そして、板前のJちゃんが築地で仕入れて来てくれたふぐなどの食材を料理して貰い、
俺と○さんはただ食べるだけで、朝晩の賄い付きという贅沢な日々を過ごす。
今年もまたその例年に漏れなくふぐちりを頂きながら酒を飲み、
取り留めもない会話で夜も更け、遅い朝目を覚ますと朝食が待っている。
近所のスーパーで仕入れた食材も、さすが板さん、
きめ細やかなほんのちょっとした手の入れようで、上品な仕上がりとなっている。
そして、借りて来たDVDの映画鑑賞をしているうちに、
さて、風呂でも行くか?・・と、温泉に行く。
そんな毎日があっと言う間に過ぎ、二人が帰る日がやって来る。
何時もなら近くの駅まで送って終わりなのだが、
昨夜○さんが寝湯で長湯をした為か、風呂上りに立ち眩みで真っ青になっていたので、
その後食欲もありお酒も平気で飲んでいたので大丈夫だと思うが、
二人を家まで送る事にした。
渋滞もまだ始まっていない環七を北上して、先ずは赤羽でJちゃんを下ろし、
再び環七を走って○さんの家を目指していると、突然渋滞が始まった。
加平ランプの渋滞かと思っていたら、西新井大師の初詣の渋滞だった。
帰りの反対車線も帰省ラッシュの車も加わって長い車の列が繋がっていた。
当然そんな道に突入する気にもなれず、
○さんを下ろした後は4号線を左折して上野を目指す事にした。
不況の風が吹く街は人出が少なくて、夕暮れともなると寒さも増す寂しさを感じる年の瀬だったけど、
西新井大師の初詣客や上野の街の賑わいを見ていると、何故だかほっとする思いがした。
一瞬、暗いニュースばかりの昨今に、晴れ着を来た人々や買い物客で賑わう通りを見ていると、
やっと正月という気にもなって来た。
薄いオレンジ色に染まりだした空に切れ目を入れた様に続く道を見ていると、
大地を侵食し、深い渓谷を作り出した谷底の川の流れに思えて来た。
俺はそんな川の流れに乗って秋葉原を右折し、後楽園遊園地の間を抜け江戸橋から早稲田通りに入り、
西へ西へと暮れなずむ遠くの山並みをビルの谷間見ながら家を目指した。
東京は何処までも家々やビルが建ち並び、その谷間を幾筋もの道が走り、
無数の人間ドラマを乗せた車が走り人々が行き交っている。
赤いテールランプが残像を残し、まるでくもの糸のように人の生き様が吐き出され、
無数の糸が折り重なり四つ角で交差し街を縫い合わせている様で、
見知らぬ人達ともひと括りにされている、何かしらの縁で繋がっているような気もして来て、
一人ではないという連帯感の様な感覚と、細胞の一部とも思える感覚に陥った。
家に帰りポストを見ると、山のペンションの奥さんから年賀状が届いており、
直ぐにお礼の電話を入れると元気そうな声が聞こえ、
ご無沙汰をしている事も無いように会話が続き、
入れ替わりに聞こえて来た旦那の声も変わり無く、
昔に交わした会話のように止めどなく話しは続き、
時の隔たりは何処かに消えていた。
30年という長い付き合いがそうさせているのか?
懐かしい声は愛しさも交え、心のわだかまりも太陽の熱に溶ける雪のように水と流れ、
胸の痞え取り除いてくれる。
時を重ね、気持ちを重ね、人は成長している。
そしてまた新しい年が明け、またひとつ年輪が加わった。
作者:
更新日:2009年1月3日 20時54分
この一年幸せに過ごせますように!
新年明けまして、おめでとうございます!
本年もよろしくお願い致します。
新年も明けてまだ二日・・なんて思っていると、
そのうちどんどん時間は加速して、あっと言う間に月日は流れ去ってしまう。
充実した日々を送るのは難しいけれど、怠惰に過ごしてしまわぬよう気を付けたい。
願い事が叶う叶わないは結果として、期待に胸を膨らまし前を向いて歩き続ける健康な肉体と精神で、
今年一年も元気に乗り切りたいものです。
皆様もお元気で、この一年を過ごせますように!
作者:
更新日:2009年1月2日 10時50分
恋を求める夜更け
このところ、夜も更けて来るとそわそわとして落ち着きが無くなっている自分がいる。
それは丁度、離婚したばかりの家財道具の消えた部屋にいるのが落ち着かなくて、
当ても無く夜の海辺や山道を走り回っていた頃と似ている。
母親から引き離されて、夜になると悲しげにクゥンクゥンと泣く子犬のように、
心が温もりを求めて泣いているかのようで、訳もなく泣き出したい気分に包まれている。
こんな時は友達に会っていても気持ちは上の空になるだけで、
この底の抜け落ちてしまったような心を埋めてくれるのは、
やはり女の柔らかい肌の温もりしかないのだろう。
取り留めのない話でも良い、優しげな眼差しを向けてくれるだけで気持ちはきっと落ち着く。
でも、そこに僅かでも恋愛感情が湧いていなければ、
見えない壁の向こうとこっちで話しているような、
それはそれで虚しい時が流れてしまう。
そうなんだ・・・俺の心は恋を欲しているんだ。
充たされないこの気持ちは、恋をしていた頃を懐かしんでいる。
離婚をした後、これが最後の恋にしようと思っていた恋に破局が訪れ、
当分の間女はいいやって、少し懲りて遠ざかっていたら、
今度は経済的に苦しくなって来て、恋をしたくとも我慢せざるを得なくなって、
違った意味で女から目を背けなくてはならなくなっていた。
そして、もう随分と長い時間が流れた。
それまでは途切れる事無く女と付き合い、常に誰かしら傍にいてくれた。
それがどうだろう、ちょっと背を向けたらそれっきりになってしまった。
現実的には今だって、恋が出来るほどの経済的状況ではなく、
尾と落としての責任を果たせる見通しも立っていない。
僅かな間だったら今だって、女を喜ばせ楽しい時間を過ごす事は出来ると思うけど、
もう恋に恋をするような恋愛ごっこなど求めてはいない。
甘い言葉で気持ちをくすぐるのではなく、互いに信頼し合い頼り合って、
互いの心をしっかり掴んで生活を共にして、互いの気持ちを育んで行きたい。
その生活をする為には先ず、男としてある程度の稼ぎがなければならないし、
最低でも生活を存続させる見通しだけでも付けなければいけない。
残念ながら、今の俺はまだその段階ではない。
恋をしたければ、一夜限りの行きずりの恋にしときないさ・・・か。
ーという事で、底の抜けた俺の心よ、まだ当分の間お預けだ・・すまん!
作者:
更新日:2008年12月30日 5時31分
年の瀬
今年も残すところ後僅かとなって来た。
1年12ヶ月365日、その他の時と同じ月が一日が終わろうとしているだけなのに、
忙しさにかまけて貴重な時間を蔑ろにして来た事を反省するかのように、
大晦日、元旦という一年の変わり目を、特別な記念日として改まって送り迎えようとしている。
1日=24時間=1,440分=86,400秒
1年=8,760時間=525,600分=31,536,000秒
数字で表すと一見膨大に思える反面、たったこれだけのものかと一分一秒の貴重さが込み上げて来る。
この時間という概念を持つ人類が存在する限り時は延々と刻み続け、
枯れる事の無い豊かな河の流れの様にも思えるが、一人一人寿命を持つ人間からしてみれば、
それは儚くも砂漠の中に消えてしまう、頼りなく細く短い川筋でしかない。
命の水は一日コップで24杯汲み出され、一年で8760杯己の人生の川に注がれている。
このたった一杯のコップの水を、どれだけ味わっているだろう?
それはまるでガソリンを消費して走る車のように、
或る時は渋滞に巻き込まれ、ちっとも先に進まない事に苛立つだけに消費し、
また或る時は快適に高原の道を爽快な気分で走っている事もある。
同じ貴重な燃料なのに有意義に使えたり無駄に垂れ流したり、
それを消費していることさえ忘れている事も多々ある。
それは何時も何時も過ぎ去ってから気付き、また忘れている。
時間の矢というように、時は一旦弓から放たれたらもう後戻りは出来ず突き進むしかない。
命の炎を燃やし、身を焦がし身を擦り減らすローソクのように人には寿命というものがあり、
それは個人個人与えられた長さがある。
その限られた命の尊さを知りながらも、日々無駄に過ごす愚かさは直らない。
それでも、この一年の締め括りとなる大晦日を迎える頃になると数え年の話しを思い出し、
少しだけ厳かな気持ちとなって除夜の鐘の音を聴く事が出来る。
数え年というのは、生まれたばかりの赤ん坊も年老いた老人も皆一斉に、
新年を迎えたと同時に新しい年を重ね、その慶びを日本中で祝うと言う意味があるらしいのだ。
生まれたばかりの赤ん坊でも年を跨いだ途端に二歳と数えられ、
それは、母親の胎内にいた時から掛け買いのない命として認めていた証拠で、
満年齢のように誕生してから年齢を数えるより尊い考え方だ。
ーと昔、上岡龍太郎が言っていた事も思い出す。
また、癌を告知された立川談志が、何時果てるとも知れない命で、
どうなるか分からない先の事をくよくよ考えたって仕方が無いので、
この一年をどう生きられるかを考え、そして、生きられた事を感謝する。
ーと、言っていた事も思い出す。
人は見えない明日に不安を覚え、人の気持ちの心変わりや老後の事を心配し、
まだ来ぬ暗い影に怯えて暮らしている。
それは、リスク管理という観点からは大事な事かも知れないけれど、
そんな事ばかりに心を惑わされ、大切な時間を費やしているのは勿体無い。
そして、大事な今という時を忘れ、今目の前にある大切な事を見落としている。
何時も何時も先の事ばかり心配をして、その不安から逃れるように今から逃げ出していた。
そして、大切な物を幾つも手放して来てしまった。
この先どれ程自分を変えられるかは分からないけれど、
少しだけ神妙に自分を振り返り、新たな気持ちで仕切り直させてくれる、
そんなけじめを着ける節目の時を迎えようとしている。
そんな気持ちにさせてくれる年の瀬に感謝だ。
作者:
更新日:2008年12月29日 17時59分
ざっと大掃除
今日は午前中に洗濯を3回し、午後になってようやく重い腰を上げ部屋掃除に掛った。
毎年年末に訪れる友人達に文句を言われない程度に掃除機を掛け、床にワックスを掛け、
美味しい料理を作って貰う為に台所も掃除した。
掃除を一旦始めると切が無く、綺麗になっていない所が気になって、
夜中だろうが朝だろうが目に付いた所を磨かないと気が済まなくなって来て、
腰にクリーナーとタオルをぶら下げて、拭き残しを見つけるとシュットひと吹きしては磨く。
これが女が家に来るとなったらもっと気合が入るのだが、
勝手知ったるあいつ等だからざっとで良いと決めていたので、
一通りのところで掃除道具を仕舞った。^^
それでも部屋が綺麗になるということは気持ちが良いもので、
出来ればカーテンもカーペットもこの際真新しいのと替えたいくらいで、
いっそのこと何処か見知らぬ土地へでも引越しをしたら、
どんなに新鮮な気持ちになるだろう?
きっと新しい人生が切り開かれるような、そんな清々しい気持ちになれるのだろうな。
俺はこの歳までずっとこの土地で育って来たから、
引越しと呼べる経験は、家が建て替えられる間の1年間近くに移り住んだ事と、
福島に1年半一人暮らしをしていた時に、
福島のスイミングクラブと横浜のブティックを兼任する事になり、
福島から朝比奈へ、そして東京に戻って来たわけだが、
親はずっとこの家に住んでおり、俺はその間ちょっと家を留守にしていただけで、
引越しの荷物といたって一人暮らしの荷物は大した事は無く、
永住をするわけでもなかったので、引越しをしたという感覚は薄かった。
僅かの間だったけれど、誰一人として俺の事を知らない見知らぬ土地で暮らすという事は、
毎日が探険をしているようで、道をひとつ覚える度にその土地を制覇しているような感覚になり、
時間さえあればバイクや車を走らせ頭の中に地図を作り上げていた。
そして、俺の性格を知る者も無く、ならば今まで表現出来なかった自分を出すチャンスだとも思い、
ここはひとつ新たな人格を演じてみよう等とワクワクしたものだった。
結局それは、より我侭な性格が浮き彫りにされてしまっただけだったけれど、
それはそれとして、新しい知り合いが仕事というきっかけで出来て、
そんな自分をも受け入れて貰えてた事が嬉しく感謝をしている。
子供から大人まで、随分と遊んでもらった。
友人のピンチヒッターでバイトをした長野のロッジでも色んな人と出会い、
30年近く経った今尚、こうして毎年年末になると訪れてくれる付き合いとなっている。
アメリカへ行った時も、言葉は上手く通じなくとも心は通い合うものだと確信し、
そんな出会いや経験が今の俺の貴重な土壌となっている。
人とに出会いには縁があり、何時どんなきっかけで出会うかも分からない。
ほんの僅かな時間のずれで見知らぬ人ともなれば、長い付き合いともなる。
10代の頃、死ぬまでの間どれだけの人と出会うのだろう?
そしてその中で、どれだけの人と心を通わす事が出来、
一体何人の人を自分と同じ様に健康で幸せになれるように、と、祈る事が出来るのだろう?
ーと、考えた事がある。
この世には今何十億人という人間がいるけれど、
俺の知り合いは僅かなもので、本心から幸せを願える人など微々たるものだ。
それが自分と同様にともなれば皆無に等しい。
それだけ自分という存在が成長していないという証拠だけれども、
出会いという縁は疎かにしてはいけないと思う。
損得ではなく、出会いというものに感謝をし、
どれだけ心を通わし受け入れる事が出来るかだ。
人というものは皆素晴らしいものを持っているのに、
その時の気分で拒み、心を閉ざしたり敵意を持ったり、
折角の糸口を自ら断ち切っている。
勿体無いなぁ・・不幸だな。
もっともっと柔軟で広い心になりたい。
目詰まりしている心のフィルターも、この際一緒に大掃除しなくちゃな・・・
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更新日:2008年12月28日 19時5分