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トップ > チューペット > チューペット - 人気ブログ(Blog)検索結果詳細 (2009年1月8日 2時)
魔人探偵脳噛ネウロ 第185話 会【のこす】
アヤの瞳があからさまにXなので、弥子が心配で心配で堪らない。こないだの絶望を更に上回るショックが待ち受けているんだろうなあ、しかしそれくらいやってくれなきゃシックスじゃないけどね…。その上で弥子&ネウロが乗り越える必要があるのだから、クライマックス入って来ているとは言え、まだまだ波乱万丈ありそうだ。
取り敢えず、「叶絵&クラス一同」分の串焼きが彼女らの人肉であることはどーーーーーにかして回避して欲しい! あそーだ「机と同じ数」とすれば弥子の机の分だけ多いから不自然だよね何かあるよね、ってのはまあ無意味なツッコミだろうね。そこは裏もなく「弥子以外の机と同じ数」ってことだろうな…。あああああああ何か明るい予測は出来ないだろうか。浅田忠信が身代わりとなってクラス人数分の肉を代わりに…ってそれもイヤだよアホ! 身代わりになってくれなんて思うキャラはいないいない。あ、一人につき串焼き一本分の肉しかそぎ落とされていないってことなら、まだ何とか一命は取り留めてるんじゃないだろうか! それでも辛いけど痛いけどエグいけど、これ以上考えられないよー!! 誰かもっと希望を導き出して欲しい!
と言うか、弥子が普通に「うまい! この肉はうまいぞ!」って言ってしまった場合が、何気に一番怖い。当然オチは「ば~~~~っかじゃねえの!?」。笑えません。
作者:umu
更新日:2008年12月10日 2時57分
SKET DANCE 第69話 ガラス男
妄想多めによる推理。結論から言えば、実行犯は高島で、黒幕は平泉(ともう一人)。ちなみに、高島と平泉は「大切な人」などと言っているが、明確に恋人とは言ってないのがポイントだと思う。
平泉は控えのピッチャー。「甲子園に連れてって」の言葉を背負ってる彼にとって、レギュラー投手は邪魔な存在だ。ではレギュラー投手とは誰か? 「四番打者」やバット談義など「打者」としての印象が強くなりがちで、敢えてポジションが明かされていない嶋崎がたぶんそれっぽい。この推測通りなら、嶋崎の立場を危うくしようと平泉と高島が企てる「動機」にはなる。
平泉が高島に持ちかけた案は大体こんな感じだろうか。
・嶋崎が犯人だと特定されるような事件をでっち上げる。
・「嶋崎崇夫=シマサキタカオ」を一文字ずつバラバラにし、それぞれが頭文字につく教室の窓を割って行く。
・6件目の時点で、新聞部を通してスケット団藤崎に事件解決を依頼。7件目の「応接室」を導き出すことを期待。
・四番打者の不祥事を大々的に取材すれば、口下手っぽい嶋崎本人では太刀打ち出来ないだろう。
・高島が疑われるのを避ける為に、「ガラス"男"」の名を浸透させ、女子を犯人候補から外すよう仕組む(1ページ目で島田に「ガラス男」のことを伝えてる後ろ姿は高島っぽい)。
だが、平泉の真の目的は、高島を陥れること。「嶋崎崇夫」「高島早希子」は、読みだけで言えば「オ」と「コ」のみが差分。ちょうど「多目的室A」「教務室」「化学室」「漫研部室」「視聴覚室」「作法室」それぞれの教室の頭文字は、「タ」「キ」「カ」「マ」「シ」「サ」と、二人の名前の「オ」か「コ」以外が全て使われたことになる。と来れば、「男」と言う思い込みからボッスンは嶋崎だと突き止めてしまっているが、7件目が「コ」で始まる部屋の窓ガラスであれば、犯人は高島だと考えるほうがふさわしい。「コ」…まあ無難に「校長室」だろう。ガラスを割ったのがボールで校長の銅像に直撃とかだと、それはそれで美味しいネタになるし(笑)。
何故、平泉が高島をそんな目に遭わせなければならないか? これも想像だけど、嶋崎がレギュラーピッチャーで四番打者だとすると、はっきり言ってエースだ。その彼と同じ野球部に所属するノーコンピッチャが、一体どうすれば「甲子園に連れてく」立場になどなれるだろうか。高島に悪気はないのかも知れないし純粋に応援しているだけなのかも知れないが、平泉にとっては正直鬱陶しい存在なんじゃないかな。
もう一人、怪しいのが、放送部の安田。特に意味がなければ、大きいコマでフルネーム紹介なんかなさそうなもんだが、彼女は恐らく今回の事件のキーになる存在じゃないかな。で、ここで冒頭の「明確に恋人とは言ってない」平泉と高島を強引に結びつけて、彼らは三角関係ではないのかなと疑ってみよう。高島は平泉と相思相愛のつもりが、実は平泉には安田と言う女(浮気とか乗り換えとかかも知れない)がいる。ボッスン達のことを八木ちゃんから聞いたのも安田みたいだから、それで今回の計画を思いつき、平泉に持ちかけたんじゃないかな。平泉は「補欠なりの気楽な部活の続行」、安田は「邪魔な高島を排除して晴れて平泉との交際に臨む」、両者の動機としてはこんなもんだろう。「誰が呼んだのか 犯人はガラス男って呼ばれて~」とか、自分で仕組んでおいてよく言うよね…。
あと、最初のガラス割りはまだ故意ではなく過失だったんじゃないかな。平泉はノーコンだから、つい軌道がそれて割れちゃって、で、安田に相談したところ、良い機会だからとこんな巧妙な計画を立てて、ガラス割りの責任を押し付けつつ高島を排除することにしたんじゃないかなと。
おそらくとかたぶんとか多くない? ってツッコミは承知の上。でも、割と筋は通ってると思う。しっかしガラス代の弁償大変だろうなあ…。『道士郎でござる』で健助が一枚割って5万円だったっけ。ガラス男事件なら35万くらい!?
あ、ロマンの証言だけは、すみません読めません。彼女を狙う悪者については想像不可…情報求む!
(追記 2008/12/08 23:12)
コメント欄でのご指摘で謎判明! ロマンの言ってたのは「漫研部室」のガラスが割られたことですね。納得しました!
(追記2 2008/12/09 01:30)
Tamoさんとこのコメント欄で、「安田カメラ目線」に今更気付いた! なるほど、確かにタイトル載ってるページ以降アングルがやたら単調なのも、「安田カメラ目線」と考えると不自然ではない。一番最後のシーンなんて「スケット団ス」の決めポーズを正面から撮るために、一旦ボッスンの右から回り込んでるんだ!
そして、ヒメコの発言かなと思ってた「暗号とか?」も、「安田カメラ目線」を踏まえると実にしっくりする理由が浮かび上がる。まず、これに対してボッスンがカメラ目線なのは、スイッチを見るときと目線が違うしヒメコの方向でもないし、カメラを構えてる安田の発言だと考えると合点が行く。同時に、安田や平泉が企んでいるであろうシナリオへボッスンを誘導する役割にもなっている。安田は「取材」なんかが目的ではなく、ボッスンらが筋道を外れないよう監視&誘導するためにこの位置にいるんですね。いやあ、なかなか奥深い。
んでこれで、Tamoさんの言う最後のオチでボッスンが「犯人はあんただろ」みたいな感じでカメラを指さすとか、そういう演出があれば、最高のカタルシスが味わえる、と。
つまり、今週は途中から「犯人視点」だったんだね。
作者:umu
更新日:2008年12月8日 21時2分
web拍手返信2008年11月9日~12月7日分
『初』を読んだ方からちょこちょこ感想を頂きますが、何と「酒のラベル」で感想を表現してくださった方がいました! これはすごい!

中身は黒麹芋焼酎『魔界への誘い』。素晴らしい贈り物をありがとうございます。こんな形での反応があるなんて感激!
バクマン。 12ページ 10と2
●>私はバクマンで言ってることはほぼ真実だと思ってました。
>フィクションだと書いてあるとはいえ、多くの人は「ジャンプの話をしてるんだしきっと本当なんだ」と考えると思うので、誤解を招きたくなければ堂々と
>「ジャンプ」や実際に存在する各作家の名前などを出さないのではないかというのが私の考えでした。
>でも正直あまり深くは考えてなかったのでムーさんの感想を読んでからはやっぱりフィクションかもしれない・・と自分の中で揺らいでいます。
虚実交じえる、と言うのが面白いと思いますね。誤解を招こうとも、リアリティと受け取れば作品にはプラスでしょうし。
週刊少年ジャンプ 2008.49号
●>PSYRENがそれらを知っているという可能性は・・やはり高いのでしょうか。
>それとももはや確実だったりする・・?
>(正確には「PSYRENの作者が」)
あの傾斜の全面窓はモチーフにしてる可能性がありそうですね。痴漢電車もののAVに使われる路線などもそうですが、貸し切ることも可能なロケ地はあるでしょうから、実際に取材したと言う可能性もありますね。
web拍手返信2008年10月28~11月8日分
●>思ったのですが、「蛇姫様は国中の誰もがあこがれる女性」の「女性」は、「人間」と同義なのでは?英語の「man」が「男」であり「人間」を指すように、あの島では、「女」=「人間」の意味で使っているのではないでしょうか。
英語の「man」は英語圏だからこその話で、少なくとも日本語で表現する際に「女性」を「人間」と読み取るのはちょっと無理があるような。
●>やっと。。。買えました
>「初」。
>水曜日(12日)に家に届いたのですが、まだ読み終わりません。
>濃すぎる。。。w
ご購入ありがとうございます! 一日やそこらで読み切れないボリューム、しかと堪能していただければ幸いです!
前振りなげっ
●>田島と三橋の配役は的確だと思いました。でも、ゴンが巣山はかわいそうすぎる!
それはどっちがかわいそうなんですか(笑)。そんな風に言われるどちらかがかわいそうです!
●>確かに、志賀センセ役のモウラが妙に様になってる…ッ
>ちなみに、今週のネウロで精神ライフがゼロに近くなりました…。
>ジャンプであそこまで情け容赦ない展開の漫画はそうそう無い。
>弥子が壊れそうで心配だが…。
指導者ポジションどうしよく似合いました。ところで「モラウ」ですよ! アルファベットだと「Molau」かな? 「網羅」でなく「貰う」で覚えちゃいましょう。
●>メレオロンとかのモンスターが人間になっている!
かなり無理やりでした(笑)。イカルゴに至っては間違えて耳描いてるし!
あまりにも可愛すぎます
●>スケットダンスのロマンに
>ものすごく嫌悪感を抱くのは私だけだろうか。
>全っ然笑えない。
>いや有無のネタとは関係ないんだけども。
あなただけかはわかりませんが、理由は何なんでしょうね? メタ的な漫画ネタいじりが好みでないのか、昔ながらの少女漫画ネタとかに面白みを覚えないのか、なんでしょね。
描き文字の上に乗るのはやめて下さい!
●>ムーさんはGペンで描いてるんですか?
Gペンは使っておりません。そもそもつけペン苦手で。どっちかと言うとミリペン派です。矢沢あい先生に倣って。
●>浪漫ちゃん三連発に腹筋は破裂寸前です
楽しんで頂けて嬉しいです。『SKET DANCE』はどのキャラも好きなので、パロディではありますがまたいろいろ描いてみたいです。
そろそろ漫画とアニメは切り離して欲しい
●>私も一漫画好きとして、人気漫画が簡単にアニメ化されてしまう現状は余り好きではありません。商業的には多くの人の目に触れるアニメは宣伝効果も高く、雑誌の売り上げの向上にもつながると思うので仕方がないかもしれませんが…。
商売なんでしょうがない面はあるんですよね。
●>「バクマン」は漫画で一生食えるレベルじゃないと漫画家としては一人前じゃない、みたいな事を一話で語っていたような気が。アニメ化も経験したおじさんは志半ばで死んじゃ
サイコーはそう言った教訓を知っていたはずが、勢いで亜豆との約束を交わし、暴走しているところが今はあると思うんですよね。またその内初心に返ったりすることを期待しています。
作者:umu
更新日:2008年12月7日 23時24分
そろそろ漫画とアニメは切り離して欲しい
「ジャンプでヒット作を狙う」と言っている以上完全否定するわけではないが、『バクマン。』のサイコーとシュージンの目指すことの一つで連載第一回目から違和感を感じているのが「アニメ化」て目標。「ジャンプでの成功」の明確な形の一つでもあるし、声優を目指す亜豆との接点を生むためにも必要な要素であることはわかってるにしても、それでも「漫画とアニメは別もの」だと強く思うぼくからするとサイコーとシュージンは純然たる(大げさ)「漫画家」を目指しているとは思えないのだ。
勿論、ジャンプに限らず、これまでヒットした漫画の殆どがアニメ化されているかも知れない。CG、SFX、VFXなどの技術が向上し、アニメだけでなく実写ドラマや映画やゲームなどにもメディア展開されて来た。相乗効果で原作である漫画の知名度や人気が更に上がることもあっただろう。だから一概に否定出来るものでもないし、他メディア化と言うのはそれぞれの表現において相互に影響を与え合い発展もすると言うメリットも十分にあっただろう。しかし、「漫画」と言う形態そのものに絶大な魅力を感じるぼくとしては、ヒット=アニメ化などと言う構造に「作品としての発展」を安直に感じることは出来ない。
アニメ化の際に期待すべきことは、「漫画のイメージをアニメで再現する」などでは決してなく、「あくまでも原作漫画をモチーフとした結果どんなアニメが仕上がるか未知数で、面白いかどうかは結果を観なければわからない」程度に留まる。声優やその他関係するスタッフや制作会社に詳しいものならば、ある程度功績を踏まえた期待もするかも知れないし実際その期待に応える成果が出ているかも知れない。けれど、「動き」や「音」や「間」を読者ひとりひとりの個性的な想像力で楽しめるのが漫画であるのに対し、アニメを作った人間達の個性的な想像力の結集で唯一の結果でしか「動き」「音」「間」を再現出来ないのがアニメである(ま、リメイクとかは置いといて)。それ以前に作画も違うし構図も違う、場合によってはストーリーまで変わる点で、原作者の表現とは異なってくる。それに加え、原作者が読者の想像に委ねていた部分すらも別の人間の手が加えられてしまっては、ますます別ものでしかなくなって来る。
と言ってもアニメそのものを真っ向から否定したいわけでもない。たとえば「原作者や読者がイメージしていたであろう」表現をアニメ独特の表現で再現された場合、または「漫画読んでてもアニメ版の声優の声で脳内再現してしまう」程の強烈な印象を刷り込ませた場合、その結果を称える原作者や読者もいるだろう。アニメはアニメで工夫や努力をしている。原作つきアニメに関わる人間だって、原作つきかアニメオリジナルかの選択が容易な立場ばかりでもなく、原作ありなし無関係に目の前の仕事に従事している。単純にコスト削減と言うのもあるだろう。更には、読者のみならず原作者や漫画出版社の希望に沿うことだってあるんじゃないかとも思う(他メディア展開全てにおいてもね)。
ただ、いろいろ事情や需要があるにせよ、それでもやっぱり漫画家には、漫画を書いているときだけは漫画表現だけに集中を向けていて欲しいと願う。「これがアニメになったら面白いだろう」「これはあの声優に演じて欲しい」と言うのは二の次であって欲しい。そのようなことを考えたとしても、漫画単体で読む読者のことを忘れては欲しくない。
手元に該当の雑誌がないのでうろ覚えで申し訳ないが、コミッカーズ1998年4月号での安野モヨコインタビューで『ハッピーマニア』のドラマ化に対し「できるもんならやってみろ」的は発言をしていたと思う。「尿!」とかどう再現出来るんだよとか、そんな感じだった気がする。
『べしゃり暮らし』6巻では、カバー折り返しでの森田まさのりのコメントが興味深い。『ROOKIES』のドラマ版への「感謝」、そして「漫画」には出来ない表現への「嫉妬」だ。「嫉妬」の中には音楽も含まれる。音楽を題材にする漫画は数あるが、果たして漫画表現で「音」がどれだけ伝わるものだろうか(作者や読者の技量にも大きく左右されるが)。だがしかし、森田まさのりは最後に「でも同じくらい、いやそれ以上に漫画は漫画でしか表現できないものがあるんですけどね。負けないように頑張ろうと思います」と締め括る。とても大切で、当たり前のことでもある。
そして今回この記事を書くきっかけになったのがあずまきよひこ.com: ENTRY [よつばとアニメ]なのだが、「アニメ化しないのかを説明するっていうのは」と躊躇うのが、「漫画家」としては至極当然の反応だ。本来ならする必要もないくらいの当然の理由(の中でも僅かな部分だろう)も述べてある。森田まさのりと同じようにメディア別得手不得手を指摘しつつ「漫画をそのままやっても「よつばと!」になりません」と、安直なアニメ化を牽制している。アニメ化する側だって「そのままやってる」なんて言葉でも語られたくないかも知れない。それくらい、作品に対しての愛情と覚悟を試されるのが、他メディア化なのではないかと思う。あとは「漫画はまんがだよ?途中じゃないよ?」も心に留めておきたい一言。一時的な売り上げ向上を狙う為か、完結してもいない=作品としての完全な評価が出来ない漫画を、いとも容易く他メディア化してしまう。更には、テレビなり映画なりの「尺」に沿って話を編集し(改竄に近いこともある)オチを沿えて終わらせる。料理中なのに、別の料理人が途中で交代して、勝手に完成させてしまうようなもんだろう。あまりにもばかばかしいことが平然と行われていると感じる(映画『デトロイト・メタル・シティ』のように「映画としてのエンタテイメント性」を踏まえながら「敢えて原作とは違う別解を出した」好例もある)。物語と言うのは完結してこそ物語たりえるし、それが最初から最後まで作者の意図に沿わなければやはり別ものになってしまうだろう。※追記参照↓
2008年12月時点において、「他メディア化されていない+他メディア化して欲しくない+漫画そのものだけで十分」なぼくの好きな「漫画」は、『神戸在住』、『SKET DANCE』、『へうげもの』、『べしゃり暮らし』、『よつばと!』、『レベルE』、『鈴木先生』あたり。「他メディア化される程人気がない」かどうかはともかくね。たとえそうでも、最近は猫も杓子も漫画が使われまくっているからなあ。ここでは主に漫画→アニメ化について書いて来たけど、ぶっちゃけ今は「実写ドラマ/映画化」の方が増えて来ている印象があるね。先に述べた映像技術の進化で「漫画」ならではの表現すら「実写」が可能にして来ている面もあれば、対象層を同一に括られ易い「アニメ&漫画」に負けじ劣らず、「実写ドラマ/映画」と「漫画」とに対象層の差が減って来たてのも理由ではあるんだろうが。
冒頭の『バクマン。』に戻るが、「アニメ化」の一点に関しては、新妻エイジに大いに期待している。彼は「嫌いなマンガを一つ終わらせる権限が欲しい」などと発言するが、単に「自信家」「自己中」「横暴」な性格を現していると言うよりは、漫画を愛するが余り「(彼が思う)つまらない漫画が掲載されている事実を許せない」のであろう。そこまで「漫画」に執着出来る彼が、果たして「アニメ化」などを想定するだろうか? いや、もしかしたら「面白い漫画を書けばアニメ化されることだってあり得る」と思っているかも知れないが、それは自分が漫画を書き続けることに対しさして意味のあるものだと感じていないのではないだろうか。
あくまで想像によるところが多いが、サイコー&シュージンとの比較として、期待したい予想ではある。今はまだ「勝負にもなっていない」両者であるが、その内連載作家同士として争う未来があるだろう。そんな時、「アニメ化」などと余計なことを考えてながら「打倒新妻エイジ」を、ましてや「日本一」などを目指せるだろうか?
余談1:まあ「日本一」をどう定義するかでもまた違ってくる話ではあるんだが。新妻エイジはそんなことすら考えていない気もする。お金を稼ぐことも人気作を生み出すことも副次的なことでしかなく、「書きたい漫画を書きまくる」行為のみで満たされているとも見えるからだ。まさに「天才型」で、「変人」。「分析型」で「一般常識人」が同じ土俵で「勝負」を挑めるかどうか、前提すら危うい。
余談2:漫画から他メディア化についてばかり語ってるが、どのメディアからどのメディアになる場合も全部同じように考えてます。
(追記)
※下線部分は、コメント欄でのご指摘の通り誤読しておりました。「まんがだよ」と「途中じゃないよ」の繋がりに違和感を覚えていたのですが、単にぼくが読み取れていなかっただけですね…。申し訳ありません。ただ、「完結していない作品が他メディア化されてしまう」ことに対する意見としては書いておきたいことでもあったので、そのままにしておきます。
作者:umu
更新日:2008年12月6日 13時54分
描き文字の上に乗るのはやめて下さい!

『ドラえもん』風『SKET DANCE』で立て続けにロマンちゃんネタ。念能力でもひみつ道具でも何でもござれだわこの子…おそろしい子! 続きを読む
作者:umu
更新日:2008年12月3日 1時59分
わかったから空中に文字書いちゃダメ!
鈴木先生(6)/武富健治
朝テレビつけたらアニメ『BLEACH』やってて、何となく耳だけ傾けてたら「ネルの必殺技はエロトーーク」と言ってたので「そうだったのか」と納得した気になったが、よく考えたらセロ・ドーブルだった。何となくネルはエロトークをしてた気がするんで、納得してしまっても仕方ないよなとは思う。で、それとは関係ないけど『鈴木先生』単行本派の6巻感想です。語りたいことはいろいろあるけれど、絞りに絞って「鈴木裁判」についてつらつら書いてみる。
最新刊も相変わらず面白過ぎるが、学校の先生なんて絶対なりたくない/そしてこんな教室にもいたくないなとも同時に思う。いや、もしかしたら生徒としての立場であれば、刺激は強いがそれなりに貴重な体験かもとも思えるが…。
ちなみに、普段は「体験」と「経験」とをごっちゃにしてしまっているが、ここでは鈴木先生の「経験率」に学び、両者の違いをはっきりさせながら書いておこうと思う。まあいつでも気をつけるべきなんだけど、何となくひっくるめて「経験」って言ってしまうんだよね。「体験」は割と受動的なイメージで味わった事象ありのまま、その「体験」を通して学んだり考えたりして新たに何か得ると言う能動的な状況になれば「経験」と呼ばれる、と言う使い分けで合ってるかな。たとえば、一度セックスをしたら「経験あり」みたいな言い方もするが、しただけで特に何も学んだものがなければ「体験」でしかないし、それなりに何か思うことがあるだろうから大体において「経験」と言ってしまうのも間違いではないんだろか。
今回の「鈴木裁判」は、「大人さえも唯一の「正解」に縛られているわけではない」ことなのに、「性教育」と一言でくくられて「とりあえず」学んでおかなければならない、と言う状況から起きうる事態で、大いに学んで知的欲求を育っちゃいなよとされる理想の学生像に沿ってるのに関わらず、喜んで良いんだか悩んで良いんだか頭を抱える話だ。まあ、既に、鈴木先生自身が「討論の意味合い」も「変化や影響」もしっかり認識しているので、彼の「告白」の全貌を楽しみにしたいが。いや、この6巻のタイミングでは、カーベーの告白の方が楽しみでもあるな(笑)。
しかし、自分が「こんな教室にいたくないな」と思えるのも、自らの体験に照らし合わせてみて、中学二年生の時点で「全く自分に関係ないこと」として見てただろうからだ。はっきり言って、理屈や知識として入って来ようが、「それが将来本当に自分に関係してくるの?」と端的に思っていた。だが、人生の歩み方次第で国語が必要になるか数学が必要になるか理科が必要になるか社会が必要になるか英語が必要になるか個人個人でまったく違ってくるのだから、性教育に限らず、学校の勉強と言うのは全て、数ある未来の選択肢に繋げるためのきっかけを大雑把にお試しで触れてみる、そう言うものだと思う。
余談。立ち読みだったので前後の関係はわからなかったが、ちょっと前週刊ヤングジャンプ掲載の『べしゃり暮らし』で子安が「微分積分が何の役に立つのか」などと言っているシーンがあった。あれは、森田まさのり的には「意味のない勉強だってある」のニュアンスかも知れないが、しかしどちらかと言うと「微分積分」をハナから「要らない」と決めつけた前提ありきにも、ちょっと感じた。しかし、「微分積分」が人生に関わる人間だっているだろう。まあ、あれはそんな深い意味での描写ではないんだろうが、たとえば「理系アレルギー」なんてのは理系を知らないからこそ言ってしまう人も多いのではないだろうか。アレルギーなんだから深く知らない/知ろうとしたことはない、のは当たり前だとも言えるんだけどね。ま、「苦手」程度のアレルギーが「全否定」に繋がるのはあんまり良くないなと、何となく思った話。余談終わり。
『鈴木先生』に戻るが、では何故こと性教育において「自分に関係してくるの?」と感じたかと言えば、それは教える側もまた「将来あなたたち自身に関わることですよ」とやたら強い語調で話すからだ。「微分積分」を教える際、「将来あなたたち自身に関わる」と教える先生はあまりいないだろうと思う。古文だって世界史だってそうだろう。時には日本の政治を教える際にすら、他の科目と同じように教える教師もいる(まあ外国に住むから日本の政治関係ねーよって人生もあるだろうしな)。ただそれは、「何が個々の人生に関わってくるか」はわからないのが自覚出来ているからだ。しかし、実は性教育だって「関係してくる人間」「関係してこない人間(単純に体験できない人だけでなく、体験したくない人、したくでもできない人、そんなことよりほかにすべきことがある人などなど)」がいるのに、リスクを考慮する余り「あなたたち全員の将来に関わること」だと語調を強めてしまうのだろう。大勢に一度に教えなければならない教育のシステム的には間違ってはいないだろうが、やたら「全員にとって大事」と特殊性を持たせてしまうのはどうにかならないかと思う。
「鈴木裁判」ではクラスの全生徒が強制的に参加させられているが、やはり鈴木先生をはじめとして自身や親を通しての「体験者もしくは経験者」の意見が圧倒的に強い。「したことのない」太田は「(体験者/経験者である)岬クンみたいに説得力ないかもしれないですけど」と前置くが、もうこの「体験/経験」を境に説得力の大小を感じる時点で、対等な議論は出来にくくなっているだろう。勿論、この体験者/未体験者問わずごった煮の中での議論だからこそ渾沌としているて面白い、と言う見方も出来るし、単純に学力や地域の括りで集められた「学校」と言う集団は全てこんなもんでもあるからこそ「人間の関わり合いの難しさ・面白さ」の舞台として作者である武富健治が選んだのだとも思える。
だが、「自分は無関係」と言う予測をした場合、その議論に振り回されるとか時間を奪われると言うのは、割と苦痛だ。そう言ったタイプの「議論自体に焦れてる者」「投げやりになってる者」「横槍入れたり冷やかししたりする者」や、「性教育を学校で学ぶまで知識を持たなかった者」なども一応描かれているが、あくまで申し訳程度の描写だ。
…などと現時点で感じていたとしても、後々また別のエピソードでこのときに目立った動きのなかった生徒が新たに再考する…なんてことがあるから、『鈴木先生』はやめられないのだが。これは最近の『HUNTER×HUNTER』にも通じるところがある。両者は、登場人物の全てに魂があることを把握している。別な言い方をすれば、「わざわざ」登場人物全てをピックアップしているとも言える。物語を(比較的)面倒くさい描写や設定に捉われずに進めるときに省略してしまう、省略してしまっても(たいていの読者からは)咎められない、と言えそうな事象を「わざわざ」描く。ぼくがたまに「ここ引っかかる」と思って感想などを書くと、「そんな部分は気にしなくて良いんじゃないですか?」とか「細かい部分ですよ」などの反論を頂くことがある(むしろ、ぼくが「揚げ足を取っている」とか「重箱の隅をつついている」とかに近い受け取られ方をされ、それを咎めるような反応)。しかし、そんなの反論でも何でもない。「気になる」レベルやポイントに差があるだけで、否定される要素にはなっていないだろう。何より、ぼくがそう言った部分で「何かしら感じる読み方」をしているのに、それそのものを否定されてしまっては元も子もない。
『鈴木先生』やここ最近の『HUNTER×HUNTER』両者において強く感動するのは、「些事」だと認識する層に甘んじず、「些事」は物語の根幹に関わることだってあるとする層に対しても堂々と勝負していることだ。「些事」を考慮したその結果、如何様にも化学反応を起こし、それがまたドラマになるのだから、このような描写が語り手として表現出来るのなら使わない手はないのだろうけど、それもまた技術あっての賜物なんだろうね。こう言った表現者が現れる可能性がある以上、たとえ他人に「些事」と言われようが、自分なりに注意深い「読み方」は忘れたくないなと思う。
話がまた逸れた。「鈴木裁判」は、とにかく異例な状況だ。何故なら、ここまでの内容は大人ですら議論の場を持ちえない。…と言うか、大部分は、鈴木先生も薄々心配しているように、いざとなったら自身の性的行為の細部に至るまでを公開する必要性が出て来るからだ。ゴシップ的にであれば、そう言った話もし易いということはあるだろうし、むしろ真面目に語り合える仲の間柄であるなら良い関係性なのかも知れない。だが、割と一般的な社会的関係性では、性的な部分はあまりぶっちゃけない間柄の方が多いと思う。少なくとも、「鈴木裁判」レベルの人数を集めた中では、とても話せないと言う人が多いと予想する。
岬が堂々と自身の経験に基づいて話せるのも、(そう言う態度が顕著に出てはいないにせよ)比較的「経験者」としての優位性があの年齢としてはあるからだろう。そして、おそらくだが、彼の目の前につきあっている彼女やその兄の遠野がいないのも理由の一つだろう。生々しい告白をしたとしても、直結する相手の姿がその場にあるかないかでは、彼の態度も変わってくるはず。
しかし、そんな岬が異常(かも知れない)とでも言えるのが、昔の彼女カーベーが同席していることだ。岬には新しい彼女もいるし、切り替えが出来ているとも言えるが、だがこれは「学校」と言う固定された集団に所属することが当たり前の立場だからでもあろう。集団が一定に固定されなかったり様々な形の集団に同時に所属するような、複雑な所属形態の大人になるにつれ、「目の前に元彼女がいる」と言う状況などは安易に無視出来なくなる。つまり岬は、場所が「中学校のHR」であり彼自身が「中学二年生」であり「経験者」であるからこそあのような告白が出来ているに過ぎない。これは「未体験者」の太田が「説得力ないかもしれない」と言いつつ発言に踏み切っている点、その太田に対して「処女じゃない」とホッとする生徒の描写、などに関しても同様なことが言える。たとえ「未体験者」だとしても、差別的な程の状況には置かれない、ある程度対等な「中学二年生同士」として認めてもらえる自信があるからこそ、議論に参加出来ているのだ。
これが大人になると、鈴木先生と同じ苦悩を抱えなければならない。年齢を重ねた分だけ、自身の経験に寄らざるを得なくなってしまう。「こと性教育においては」などと前述したが、あくまで教育に関してであり、これがパーソナルな情報を明かすと言う段階になると、やはり「性の話」と言うのは秘密にしておきたい部分・秘密を認めるべき部分がある。「鈴木裁判」レベルの忌憚ない意見交換は、経験率ではなく体験/経験の量に捉われがちな大人であればあるほど無理だ。子供だからこそ、経験率とまで言わずとも体験/経験の量の差異をそこそこ受け入れられる(とお互い認識している)分、可能なことだろうと思う。そうだなあ、今の世なら、匿名性が保持出来るネット上においては「パーソナルな性の話」でも「私の友人が~」レベルの「誰とも知れない、とある体験談/経験談」にも転用出来るので、「鈴木裁判」寄りのことは可能だろうけど、「鈴木裁判」の特殊性に「お互い興奮した状態(顔)を見守りながら」も欠かせない以上、やはり大人だとなかなか味わえないシチュエーションだと結論づけたい。
どちらかと言うとファンタジーだ。また、これこそ創作だ、物語だと、喜びも感じる。どう考えても異常な「鈴木裁判」、大いに疑似体験させて貰おう。そしてこれも一つの経験として、経験率を上げてみたい。7巻待ち遠し過ぎる。
作者:umu
更新日:2008年11月30日 8時27分
バクマンファイト告知
The 男爵ディーノにて、ジャンプ作家の気持ちを追体験できるゲーム『バクマンファイト』(ルールなど)が開催されます。
まずは11/21(金)の23時までにバクマンファイト連載獲得アンケートが行われます。ここで本選に残る10作品が絞られる予定なので、第一話あらすじから「続きを読みたい」と感じる作品に投票してください。
そして本番は11/22(土)の21時から。第二話以降、期待通りに面白くなるか、編集部の意向でテコ入れせざるを得なくなるか、打ち切りに向かって伏線を消化出来るかなど、ハラハラした展開が拝めると思います。お暇な人は是非、ふるってご参加&ご聴取を。
元々は、ぼくが自分の同人誌に収録した『ジャンプ連載すごろく』にてジャンプ作家の気持ちを追体験する遊びを実際にやってみて面白かったんですが、同じ場所に集まってアナログでやるならともかく、ネットを介するとしてもすごろくはぼく一人で振ったりすごろくとコマの位置関係を示す画像もその都度更新しなければならなかったりで面倒くさくって、もっと気軽にオンラインゲームの対戦のように遠隔地の人同士で遊べないものか? と思ったのがきっかけ。これを元に友人にTRPG形式の案を貰い、更に「かがみさんのやってるダンゲロスはこの要素を取り込めないか?」と考えて彼に話を振り、最終的にかがみさんが独自に計画を立てた、と言うのが今回の経緯です。
ぼくの作ってたのはあくまですごろくなので運以外の要素に左右されるものは想定しておらず、「作品のあらすじを書いて」「評価されて」「編集部にテコ入れをされて」といろんなものに振り回されたり振り回したり出来る『バクマンファイト』には、全然予想していなかった面白味を期待出来そうです。
ちなみに『ジャンプ連載すごろく』は『バクマン。』が始まる前に作ったものですが、ジャンプ読者として表面的に感じ取れる要素を寄せ集めていて、最初にとった漫画賞にあんまり意味はなさそうとか赤マルに載るだけでも一苦労とか担当編集と反りが合ったり合わなかったりで作品に影響出るとか休載が多いとそれだけの印象しか持ってもらえなくなるとかなかなか人気の目が出ないし打ち切られまくると辛いとか、今まさにそう言ったアレコレを『バクマン。』でなぞってくれてる面があって、ひとりで妙に楽しんでる部分もあります。『バクマン。』を全話読み終えた後ならば、また一味違うゲームも作れそう。
作者:umu
更新日:2008年11月21日 2時39分
前振りなげっ

『おおきく振りかぶって』風に『HUNTER×HUNTER』パロ。ナックルを冷静にさせるための条件付けは、こんな感じについつい引き込まれちゃうモラウ先生の講釈があったかも…と言う妄想。あと、何よりシガポとやたら似てたので描きたかった。 続きを読む
作者:umu
更新日:2008年11月19日 4時18分
同人誌『テニスの王子様[全国大会編] 爆笑・恐怖・激闘 完全記録』販売イベント告知
表紙・裏表紙のイラストを担当させていただいたThe 男爵ディーノのかがみさんの同人誌『テニスの王子様[全国大会編] 爆笑・恐怖・激闘 完全記録』が、11/9(日)に開催される第七回文学フリマの「B-33 ピアノ・ファイア・パブリッシング」ブースにて委託販売されるそうです。『テニスの王子様』を読み解くには必携の内容です。まだお持ちでない方は、この機会に是非! 通販よりも安く買えるイベント価格500円です。
…しかし、かがみさんのテニス同人誌表紙依頼を受けたときは、まさか西島大介先生表紙のいずみのさんの同人誌にばるぼらさんが編纂したさやわか(ソメル)さんの『Hang Reviewers High』と同じ場所に並べられるだなんてことは、夢にも露ほどにも想像しなかったことで、不思議な気分だ…。当日その光景を拝みに行けないのが悔しくてしょうがない。
作者:umu
更新日:2008年11月8日 2時9分
web拍手返信2008年10月28日~11月8日分
web拍手で送信出来るコメントの文字数制限が緩くなって、たくさん送りたい方としては便利になったかと思います。
本当はいいコなのに…
●>振蔵はむしろ早乙女っぽいと思いました。
うん、後期サータンに近いかもね。
●>まさかここで道士郎がでてくるとは!
>あまり話題にならない漫画だけど
>自分は好きなので面白かった。
>道士郎のネタが出るだけでうれしいです
ぼくは毎日のように読み返すほど『道士郎でござる』好きです。そうかー、あまり話題にならないのかあ。西森作品は漏れなく面白いんだけどなあ。またネタに出来るようならやってみたいです。
乳房の先に円形のものが見えてはいけないなら、どうするか
●>シンデレラによる胴体の表面が切り離されるエステで乳首描いてましたね。
あーそういえばあったね。あの頃の由花子描写は、エステ効果を高めるためか妙に色気出まくりでしたね。ToLOVEるばりに乳首立ってそうな服のしわとか。
●>ムーさんが自動ポルノに手を出していることだけはよくわかったw
自動ポルノがあるなら手動ポルノがあるのか。つーか、手は出してない出してない。せいぜいレイフルとか心交社とかです。しかもサンプル動画だけでものを語る。
バクマン。 12ページ 10と2
●>まだ途中読みだけど、確かにフィクションだと忘れてたよ。これは恥ずかしい!
フィクションじゃなさそうな情報織り交ぜて来ますからね。手法としてはすごく面白いと思います。
週刊少年ジャンプ 2008.49号
●>自分も「私と同じ感じ」は意味わからなかった。でも斜視なんて設定使うかな?でも他に理由が思い浮かばないのも事実・・・
ぼくも「ないよなあ」と思いつつ書きましたが、他に理由が思い浮かばないと言うのも一緒。
●>チューチューはうちもそうでしたが、ボッキンはないないないないwwww
「ボ」じゃなくて「ポッキン」だから! 勝手にエロにしないでください!
●>私は兵庫県ですが、醤油を吐くからショウユバッタは幼いころ聞きましたねぇ。
同じ由来で広まってるところは多そうですね。
●>言われてみれば「蛇姫様は国中の誰もがあこがれる女性」はヘンですねぇ。女性しか知らないのだから、わざわざ「女性」とは言わないですよねふつー
女性だらけと言う特殊な環境を作り上げたわけだから、ぼくらの常識とはズレがあることを細部にまで気を遣って監修して欲しいですよね。
●>「非道な」という発言は、背に乗って転落させるべく追い打ちをかけ(ようとしてると観衆が受け止め)たことに対してであって、落下しそう→背中に乗る→体重をかけて落とそうとしている?と考えることは別に不自然ではないのでは?と思います。
>ナルトが消えているのは極秘修行のためですね。螺旋手裏剣を飛ばそうとしてる?
>カカシは……写輪眼はムリか……?こんなところで殺すかな?という気はするんですが……。(四代目とチームを組んでた頃の女の子の伏線を消化せずに退場するかなぁ?という気も。)
>ペインは、死体をリモート義体として操ってるのかなー、と妄想。
>ユンボルは渋すぎたんですかね。あとあのヒトはシャーマンキングの時もそうだったけどはしょりすぎて読者の想像にお任せしますなところが多いような。その辺でついて行けない子供も多かった……?
>チャゲチャは……シュールギャグなので強さの裏打ちができない勝ち方で劣勢を挽回するのがパターンだと思うんですが、意外と主人公が弱かった、というところで爽快感が減ったような。
「非道」という言葉の意味を考えれば、追討ちをかけていることをそう表現するのは不自然だと思うのです。観客が、彼女らの崇拝するものに対しての反発(ルフィ)を許さないのは別に構いませんが、それと「非道」と言う言葉には何のつながりもありません。
●>「次回作は村田先生のイメージイラストをパッケージにしてしまうのが最適では」これは本気でいいな
いいですよね! アウディ操作できるゲームとか、あったら最高。
●>全作品感想したのって何年ぶりでしょうか。びっくりしました。でもあんまり内容と関係ないことばかりw
無茶しちゃいましたね。でもまあ一応関係あるところから派生していって…と言うことで、感想ですこれも全て。
●>チャゲチャ信者に怒られますよ!!
夢だから許して!
その他
●>以前「春期限定いちごタルト事件」をススメた者です。お久しぶりです。
>夏期の方は読まれたでしょうか?ちゃんとした感想は無理にアップしようと思わなくても大丈夫ですよ!(出来れば読みたいですけどネ・・・^^;ヾ)
>現在何を読んでいるとか・・・ちょいちょい触れてくれたら嬉しいです^^♪
>「犬はどこだ」読まれたんですか!私、それは読んでないんですよー;気になりますけどネェ・・・。
>所でまたまたオススメなんですが・・「放浪息子」という漫画をご存知でしょうか?絵がキレイで、内容もとても丁寧で素敵なんですッ!最近新刊が発売されました。もし良さそうだと思われたら、チェックしてみてください^^♪
>では、これからもお忙しいかもしれませんが頑張ってください☆
『夏期~』は何故か本屋で見つからなかったのでまだです。『犬はどこだ』はシリアスかつ、ネット的な話もちょっと出てきて面白いですよ。今は『さよなら妖精』読んでます。これまた毛色が違いますが、なかなか引き込まれてしまう内容です。いやあ、外れがなくて良いですねえ。
『放浪息子』は志村貴子の作品ですね。志村貴子は以前一冊だけ読んで、面白かったけど特に他の本に手を出していなかったです。見かけたらチェックしてみますね。オススメありがとうございます!
●>同人誌ついに買えたよー!武装錬金と大亜門率高いwwwww偏ってるけど濃くて面白かったです。サイコーの同人誌です!
ありがとうございます。通販二回目は比較的緩やかに売れてるようで、今見てもまだ買えるようになってますね。武装錬金率の高さは自覚してたけど、大亜門率は後で気付きました。あと何気に変態仮面率も高いですね。表紙にもいるし作中で使ってる人もいるしで。楽しんでいただけてとっても幸せです。
作者:umu
更新日:2008年11月8日 2時8分
週刊少年ジャンプ 2008.49号
作家総出の企画とかやってる記念号で「作者の都合」休載の鈴木先生。「取材」「急病」「都合」の使い分けは未だにあるんだね。
ONE PIECE
一方的に決められた「公開処刑」に抗う男が逆転しただけの状況で「非道な」はないよなあ。この手の展開で観客とかのモブはある程度テキトーな発言をしていても仕方ないのだが、今回のは「追討ちと思いきやルフィの配慮/大器っぷり」を示すきっかけとして使われているだけに、テキトーどころではなく不自然過ぎて嫌だなあ。
まあもっぱら現在の個人的な興味は「女人国」の成り立ちやシステムの方なので、この騒動が和解と言う形で済んだ(済みそうな)のは嬉しい。「男ってそうなの」発言の多い島人は、ではどの程度「女」の仕組みを把握しているのか。たとえ「男」を知らずとも、生理や出産など、自らが「女」であるが故に理解すべき事柄は多いはず。そして、彼女らの父親とは、果たして全てが外界から持ち帰った種ばかりなのか。その場合当然「男」を知る母親も存在するわけだが、それでも尚まるで「男」を知らないかのような一般島民が多いのは何故なのか。あんまり細かく期待するのも野暮かも知れないけどね。「蛇姫様は国中の誰もがあこがれる女性」とか言う台詞を不自然と感じていないなら、主要人物すらテキトーにしてる向きもあるってことだしね。
BLEACH
>希千代「芝居か……?」
その見事な考察は、『BLEACH』のバトル全般に渡ってのツッコミと言い換えても差し支えない。
小説 ロザリオとバンパイア の広告
上半身だけ見ると立ちバック要求の図なのに、下半身は座りバック要求の図と言う、難解な絵。座りバックであればあのように手で支えるのは不自然だし。立ちバック要求に疲れ、ずるずるとへたりと座り込んでしまった図、と考えると妥当だろうか。
NARUTO
>フカサク「たまに一人でおらんようになるがどこへ行っとんじゃ?」
に対するナルトの焦り方。「たまに一人で」やること。その前のコマの脱力感たっぷりの表情。エロ仙人と呼ばれる程の人物につきあってたならば、もうちょっと思春期(以降)の男性の生理に勘付いて欲しいものだ。それとも、自来也ちゃんは気付かれないように日々こなしていたのだろうか。それこそ、忍びの者ならば朝飯前に隠し通せるのかも知れないが。全部わかった上で思春期の男子をからかってるつもりなら、フカサクもまた優秀な忍と言える。
銀魂
チューペットと言う呼び方を初めて知った(何故か作中「チュー「パ」ット」とずっと言ってるけど、サブタイトルはちゃんと「チュー「ペ」ット」)。
ぼくが子供の頃から知っている呼び名と言えば「チューチュー」とか「ポッキン」とか明らかに「吸うとき」「折るとき」を示す擬音でしかなく、改めて考えてみれば車を「ブーブー」とか言うのと同じレベルの幼稚さだもんな。実は商品名がきちんとあったと言うのも、当然かも。でも、ぼくが子供の頃に味わっていたものがこの前田産業のものだったかはちょっと怪しく、類似品もいろいろあるんじゃないかとも思う。だから「チューペット」だけが正解でもない気はするけど、こうやってジャンプ誌上にて出して来るとなると、北海道出身の空知先生だけが馴染みあるものでなく少なくとも編集者にも違和感のない呼称として取り上げているのかな。教えて!gooなんかを見ても、この辺りの個人差は確実にあるのがわかった。
家庭教師ヒットマンREBORN!
ツナの首を掴む前の髑髏の幻覚は、乳よりも尻がエロい。乳房描写の難しさを考えたりもしたが、尻はその辺ありのままに描いてもOKな要素が強く、尻派には優しい世界だ。男女ともに持っていると言うのが大きいのだろうが、本来尻はそこまで「隠すべき部位」ではなかったのではと想像する。単純に、性器と対となって身体の前後に位置しているが故に、身体に巻きつけるタイプの衣服(下着や腰布)でセットで隠されていただけで、そう考えると、ふんどしやTバックなどは、衣服技術の発達した世界では非常に適切な形状に辿り着けたものなのだとわかる。
トリコ
オリジナル動物&食材企画の結果発表を見ていてちょっと思ったこと。オリジナルと言いつつも「既存の何かと何かの融合」が殆どだ。ダジャレや言葉遊びがあれば、ちょっと一ひねり加えたと言う感じ。まあこれは『トリコ』本編にも言えるし他のファンタジー作品にも共通したことではあるが、たとえばそんな投稿作の中にも「ドラゴン」とか「ケルベロス」など、実在しないものが素材の一つとして含まれていたりする。それら自体がトカゲや蛇や犬などをモチーフとしているとは言え、こうして「融合の素材の一つ」として捉えられることは、実在するものと同様の地位を確立しているわけで、後世にそんな地位を築ける程のものを作ったと言うのはすごいことだ。と思うと同時に、「まだ何もない時代だった」からこそ出来た芸当とも言える。「言葉」だってそうだ。飛行機と言う言葉の素っ気無さったらない。空港と言う言葉の立場の無さったらない。「船」「港」のように、「既存の何かと何かの融合」でない名前を与えてやっても良いだろうにと思ってしまうが、現実の世に新語を浸透させるのは並大抵の力では出来ないだろう。ならばこそ、自分勝手に創造出来る創作内でこそ、「これぞオリジナル」と言えるような魅力的な発想を見出したいものだ。
ところで、「醤油バッタ」には個人的に惹かれるものがある。これは「チューペット」以上に共感を得る率が個人差に左右されそうだが、子供のころ「ショウリョウバッタ」を「ショウユバッタ」と呼んでいた記憶がある。元の名の由来は「精霊」で、ショウリョウトンボと同じく精霊祭の時期に関連して付けられたものだが、子供には「しょうりょう」どころか「せいれい」ですら「精霊」と言う単語に馴染みはなく、覚えにくい(話が逸れるしこれに限ったことではないが、漢字で表記して初めて意味を成すような言葉・名称でさえひらがなやカタカナだけで表記するのは座りが良くなくて好きじゃない。好みの問題でしかないけどね)。だからと言って何で「醤油」に飛躍するかと言うと、ショウリョウバッタが醤油のような色合いを持つ液体を口から出すから。出すと言うか、正確には、子供特有の虫虐待の末の吐血みたいなもんだろうけど(ルネに処刑される!)、そんなことから「ショウユバッタ」と認識していたんだろうと思う。このローカルかつパーソナルな思い出が、20年近くの時を越えて滋賀のYHさんと繋がったと言うことでなんだか感慨深かった。
アイシールド21
長らく話そのものに面白さを見出せなかったとは言え、「スタート」を知る以上「ゴール」まで見届けたいと言う思いだけはずっと残っていたので、その長いもどかしさにようやく幕を閉じたと言う意味だけでも「待ちに待った」と言ったところ。…なのだが、感動出来たのは「終わったんだ」から3ページ弱のセナ個人の回想&モノローグ部だけだった。で、よくよく見れば、途中経過は大幅に省かれており、「生まれて初めて入った部活」「たった二週間で終わった初めての大会」「(主務を申し出た)初めての勇気出して良かった」「泥門に入ってみんなと会えてアメフト部に入って良かった」などなど、実質的に「如何にセナが初めてのアメフトに興味を覚え、初めての闘志を奮わせたか」がメインとも言える。これは自分にとっては該当する初期の物語だけでも十分に味わえていた感動でもあって…、その、つまり、「待った」甲斐があんまりないなあ…とも気付かせられてしまった。いや、「セナ」と言う元初心者の想いを描いていると言う意味では至極適切で、良い場面なんだけどね…。
そんなわけでDOS(デッドオアショウリ)であったクリスマスボウル制覇を終え、残るは「立つ鳥跡を濁さず」で綺麗な締め方を望みたい。…のだが、米スタジオnoteの2008/11/01を見る限り、最低1年はまだ続きそうな気配が…。「優勝したってまだまだ続きが見たい!」と言う需要があるなら仕方ないのかも知れないけど、そうでもない限りは引き際ってものを考えるべきだろう。また、村田先生にはそろそろ稲垣先生とのコンビも外れて別の作品にチャレンジして欲しいとも思う。思いっきりジャンルも変え、ギャグ調も控え目にして、ジャンプっぽさ全開のバトル漫画なんかでも良い。「代表作 アイシールド21」だけで終わる作家になって欲しくないのだ。
ぬらりひょんの孫
「観客とかのモブはある程度テキトーな発言をしていても仕方ない」の理想形がこれ。中学生もそこまでバカじゃないけども、「中学生なら騙されもするか」とだって言っちゃえるし、そして何より一般人にとっての清継くんの財力は「未知の領域」なので、「妖怪バトル」も「財力(による映像技術/演出技術)」も同様に未知な場合、「財力(による映像技術/演出技術)」に傾いて納得させられるのも仕方ない。…と言い切るのは流石に甘い見方か。日常/非日常の二重生活ものには付き纏う定番の問題だからなあ。『武装錬金』のように「事情を深くは聞かないけど、存在は認める」と言った変わり種はそうそう思いつけないだろうし。うまく処理して欲しい課題の一つ。この作品ならではと言う意味なら、清継くんの財力etcではなく(天然な)ハッタリに希望を託したいところだ。彼のキャラならば、ミスターサタンや毛利小五郎のように自身に疑念を抱くことなく、読者的にもスッキリなオチを用意してくれるだろう、たぶん。
こちら葛飾区亀有公園前派出所
『こち亀』が「映画やメディアの伝える「30年代=懐かしくていい時代」観はりアルじゃない」とか「コンピューターゲームをやりすぎると良くないと世間で言われてるけど関係ないよね!」とか表立ってメッセージを出すことに、何の意義があるんだろう。こう言うくだらないことを、わざわざ、しかもものすごく安直に物語に挿入しちゃうのがダメだなあと思う。大体、電極+らは小学生とは言え世の中に娯楽を提供する側の人物でしょ? その彼らが、同業である映画やメディアのフィクション性に気付けないなんてことがあるだろうか。後者に拘るのは、自分たちの仕事が槍玉に上がっているのだからまだわかる。が、「未来には夢がある」だと直接的な回答にもなってないしな。
しかし、別にゲーム機は忘れなくても良かったのにな。だってテレビに繋げようにもRCA端子ないし…と言う想像を電極+らが知らなかったとするなら、それはそれでリアルなんだけど(笑)。
バクマン。
別記事参照。…と、もうちょっと書いておきたいこともあるので書く。
初期からの軸だったサイコーと亜豆に比べ、シュージン絡みの恋愛環境はかなり意外な外的要因となって関わって来ており、注目してる。アイディアの一つに「イケメン高校生が何股かけられるか真剣に競う話」は自身が経験したことを踏まえた上でアイディアが生まれたor膨らんだんじゃないかと想像出来る。その代償としての見吉の暴力だって、自ら受けることで「やられる側」の視点も持ったバトル漫画に繋げられるかも知れない。そして何より、現在恋愛に対して素っ気ないからこその、「ハマった時」との落差を期待せずにはいられない。「二人っきりだからって変な事してないよ」は「現状報告」に過ぎず、今から変な事する機会も権利も彼らにはあるのだ。「H」とプリントされたシャツ、斜め後ろからのアングルに関わらずその大きさが見てとれる乳、太ももへ流れるラインの綺麗な後方からのショートパンツ・尻。あえて首から上を隠してのこの登場コマに、変な期待をするなと言う方が無理だ。以前語られた少女漫画への偏見的な展開を自ら経験、なんてのも面白い。
夢に向かって突き進むと言う物語は、如何に余計なものを排除できるか、如何に周囲に惑わされないようにできるか、と言う問題でもある。サイコーだけでなくシュージンにもその課題が生まれたのだ。
D.Gray-man
先週の『マンガ脳の鍛えかた』を読んでしまうと、「ちょっと窪み」とか「ちょっと段差」での背景のこだわりが、逆に「それだけでこだわったつもりなのか」みたいに逆にショボく思えてしまって困る。手の内は出来るだけ明かさない方が良いこともある。
WJ歴代人気キャラ大集合特大ポスター
単なる第2弾でなく、単品で「これはすげえ」と思わせた第1弾との分割絵であったと言うサプライズっぷりが堪らない。巻末コメントで言ってた『アウディ』は是非入れて欲しかったし、ジャンプ名作読切と言ったら『七つの海』までやってくれたって良かったのになどと思うが、まあ贅沢な悩みだよな。ここまであれもこれも描いていると、取捨選択にも相当な葛藤があったと予想出来る。DSソフト『JUS』を遊んだ身としては、あのゲームにすら(おそらくいろいろ問題があって)含まれなかった作品群も網羅されていて、寧ろジャンプゲーム次回作は村田先生のイメージイラストをパッケージにしてしまうのが最適ではと考えてしまう。
特に出来が良いのが、「海賊船編」。こちらの凄さは、只の「キャラ絵切り張り集合」でなく、「キャラクターが同じ場所に息づいている臨場感」にある。この大勢の組み合わせでのドラマを思い浮かべてしまうような、想像の余地がたっぷり残された絵だ。
いぬまるだしっ
戦隊ヒーローネタで及川奈央を出すと言う強烈な皮肉。そりゃ及川奈央だってAV女優時代を隠すつもりは毛頭ないだろうし、無修正で晒した記録は永久に消えないだろうが、『ゴーオンジャー』を観ているチビッ子世代に敢えて明かすようなことはしていない。願わくば飯島愛のように自然に世に受け入れられて言って欲しいだろうこの時期に、「なっ なに突然!? キミッ…ジャマしないでくれっ!!」と言う生々しい抗議が目に見えるようだ。
そしてオチが「いぬまる=リア・ディゾン」。いぬまるの一部(性器)露出と来日前リア・ディゾンの一部(乳首)露出とをかけているのだとすると、なかなか興味深い比喩だ。そして、妊娠&結婚報告での退場は、ファンがどうであれ決してネガティブなだけの話ではない。一部露出程度なら比較的明るい未来がすぐにでも手に入ると言う、ここでもまた及川奈央を対照的に浮き彫りにしたいようにも見える。
今週の裏テーマは、大石先生なりのセクシーアイドルいじり。だったのかも知れない。
魔人探偵脳噛ネウロ
「警察のボスは私の友人」は、ハードル上げて来たなあ。笛吹始め、探偵サイドの手柄独り占めでなく、警察サイドの面目も保つのがこの作品での警察ポジションだと思っていただけに、今後は笛吹・筑紫・石垣・等々力辺りの身の振り方も見所となって来そう。
巻末コメントを見ると『るろうに剣心』での薫死亡時を思い出してしまって不安になる。しかし、逆に松井先生だからこそ安易に「生きてました」「生き返りました」とは絶対言わないだろうと、期待も大きくなる(今週で死が確定したと断言するのもまた早計なんだけどね)。
貧乏神が!
「フィクション、とりわけコメディにおいて、銀行強盗とはボコられて失敗するものである」と言ったのは誰だったか。まあ誰も言ってないんだが、大体そうだよね。これが何故安易に多用されるかと言えば、「金が欲しい」と言うありふれた欲望に加え、「ならたくさん金置いてる銀行から取ろう」と言う短絡的な解決方しか思いつけない=失敗しても当然なバカを犯人と設定し易いからだろうか。
いずれにせよ、ちょっとパンチが弱い内容だったことは否めない。冒頭のメタ的な作品紹介は収まりが良かったし、テンポも雰囲気もいつも通りだったんだけどね。出来るだけ市子と紅葉のキャラ二人だけを目立たせようとする意図は間違ってはいないんだが、やはりもうちょっと第三者が絡んでこそ二人のキャラも引き立つってのがあると思うので。『エム×ゼロ』も『初恋限定。』もなくなっちゃったジャンプにエロ要素不足と感じてる向きには、全体的に作風が好きでさえあれば、単行本やジャンプSQ.に手を出したりするかもね。
J学院入試2000ター試験!!
たった10作しか扱われていないが、周りが『キン肉マン』『DRAGON BALL』の二作を除けば後は『こち亀』『NARUTO』『銀魂』『BLEACH』『REBORN!』『ONE PIECE』『アイシールド21』と長期連載作ばかりの中『トリコ』が含まれていることに驚きを禁じえない。これが単純に人気の図式であると判断することは出来ないが、それなりに好調であることを匂わせる出題だと思った。
HUNTER×HUNTER
「ムリようそんなもの動かせないもん」と言った傍からガレキぶん投げるヒナの無邪気さが、末恐ろしい。可愛い顔してるからこそブチキレた表情をギャップとして見せることは大いに予想出来るので、今から覚悟しておいた方が良いだろう。ビゼフが発した「約束」の内「うなるほどの財宝」は序の口で、それよりも「望むもの何でもやる」が地獄へのチケット。ビゼフの想像する範囲を越えた望みを迫られた時、この約束は決裂する。その場合「力」のあるヒナが優勢と思いきや、そこはこの手の小悪党にありがちなビゼフの粘りっぷりも期待出来るんだよね。護衛軍に取り入っただけの狡猾さ、見せつけて欲しい。更にこちらの組み合わせで見逃せないのがシドレだろう。この下っ端が何かをきっかけに大番狂わせの一因となる可能性、100%は否定出来ない。言葉が話せない&表情が読み取れない不気味さが、ヒナすら予想出来ない事態の静かな伏線となっているかも知れない。そして、彼女らの行き先が地下であることにも妄想は止まらない。ようやくパームの生死の判明or登場となるのかも知れないからだ。
SKET DANCE
生徒会回。みんな良いけど特にデージーがいいなあ。彼女相手なら、告白一蹴されるのもまた学生時代の良い思い出となると思う。また、主役たるスケット団の存在がデージーのボケの前フリでしかなかったり。「壊された」ってそんな他人事みたいな! KMI(キブンデモノイウナ)言うが、お前こそKMK(キブンデモノコワスナ)! KMI(キブンデメダマイレルシ)! しかし「右目寄ってる」が「私と同じ感じ」とはどう言うことか? 斜視とか? 眼鏡も斜視強制ジャンプで斜視っつーとペリーコロさん以来? そう言えばデージー初登場回で、裸眼から眼鏡に切り替えて何の違和感もなさそうだったのが不思議だったが(コンタクトをかけていたなら、わざわざ眼鏡をかけ直す必要はないし)、視力はさほど悪くなく、斜視強制用レンズを入れた眼鏡を使用していると言うことだろうか。その内生徒会メンバーの過去エピソードなんかにも及べば、デージーはこの斜視絡みの話になるのかも知れない。…KMI(キブンデモウソウニイレコミスギタ)。
アスクレピオス
>…それぞれの"死闘"幕開け!!
「それぞれ」には、ロザリィ、アスクレピオスに次いで内水先生も含まれるんだろうなあ。
PSYREN
我われは…この背景に見覚えがある…。このナナメってるブ厚い全面ガラス窓を知っている。ほしのあきが写真集『H学園』ならびにDVD『カゲキH学園』にてTバックスクール水着で泳いだこのプールを! (通称「いつものプール」)
To LOVEる
一見いつも通りの校長なのだが、実はパンツを履いてる分だけ学校内より自重している。彼には彼なりの、露出に関するテリトリーやポリシーが存在するのだろう。大体、この漫画の女性キャラの多くに比べれば、彼の露出率もそう多いものとは言えまい。どーせルンの衣装は単行本では乳首加筆されるデザインなんだろ? この世界において、校長は比較的軽度の露出狂である。
チャゲチャ
「『チャゲチャ』切る前に『エム×ゼロ』とか『武装錬金』とか『P2!』とか『ユンボル』とか『ダブルアーツ』とか『サムライうさぎ』とか切れよ! ネットでの継続嘆願署名活動で数百通(しかし一人複数署名可能)集まったぞ! これを見ても続ける必要はないと申すか! 編集部の良識を疑うぞ!」などと抗議電話が編集部へ殺到、と言う夢を見た。
豪腕サイボーグツトム
ツッコミ顔が怖過ぎる。せめて鼻描いてくれ鼻。と、前作も同じこと思ったんだった…まるで成長していない…。
ピューと吹く!ジャガー
「横ハマ縦ハマオレハマー」は「ラーメンつけ麺僕イケメン」の狩野英孝が入ってるぽい? 勘違いナルシストキャラっぷりで言えばかなり似てるし、今ハマーを実写で演じるならキングに任せて良いと思う。あとギター科の三人がイメチェン前と言うか去年くらいのチャットモンチーぽいなあ。早見=えっちゃん、山瀬=クミコン、は特に似せてる感が。そう言えばジャガー初期は音楽ネタ多かったけど、最近少なめなのは何か理由あんのかな。
(追記)
『ゴウオンジャー』とすべきところを『ボウケンジャー』て書いてたので修正。ご指摘ありがとうございました。日曜朝目が覚めたときにぼんやりしか見てなかったので全然頭に入ってなかった。と言うかもう覚えられない。10年前、モーニング娘。のメンバーの顔と名前が一致しないと言ってる人が不思議だったが、もう全然不思議じゃないな。
(追記2)
『ゴウオンジャー』じゃなくて『ゴーオンジャー』でした…ほんとひどいなぼくは。もっとちゃんと調べる心構えを持たないとね…。
(追記3)
菊千代じゃなくて希千代ね…。どんだけ間違えてんだ。修正しました。ご指摘ありがとうございます!
作者:umu
更新日:2008年11月3日 22時3分
バクマン。 12ページ 10と2
ストーリーそのものの感想はあんまりないですが。
>★週刊少年ジャンプに掲載されている作品は全てフィクションです、実在の人物・団体・事件などには一切関係ありません。
週刊少年ジャンプの巻末目次ページに記載されている一文。人間の考える「常識」や「正当性」が言葉の意味などには個人差があるため、こんな当たり前の注意事項を断りとして入れる必要が出て来る。そして、この断りは、ルポルタージュ漫画や巻末コメントなどにも同様の前提と考えて良いと思う。すべて「虚構」を織り交ぜている可能性があるのだ。
そんな一般的な読者の感覚をぐらつかせているのが『バクマン。』だ。この作品の斬新な点は、前述のような断りを入れているジャンプ誌上でありながらはっきりと「集英社」「週刊少年ジャンプ」「手塚賞」「赤塚賞」その他実在の漫画家や作品名を頻出させていること。これにより、読者の一部は、(程度の差こそあれ)フィクションであることを一瞬忘れ「なるほどジャンプとはこう言うシステムなのか」と思い込んで受け取ってしまう。例えば、実際にジャンプへ投稿しようとする人間は『バクマン。』で描かれたような編集者とのやりとりが待ち受けているかも知れないと構えるかも知れないし、不完全に見える形で終了した作品を見た読者は「10人の内2人の支持が得られなかったのだな」と考えるかも知れない。しかし、その感覚の根拠は、あくまでも『バクマン。』と言うフィクションで語られていた情報に過ぎない、とるに足らない根拠であることを、自覚した方が良いだろう。真実であることのように話すことは恥ずかしいと思う。
「嘘だと思え」と言っているわけではない。そうして読者の感覚を狂わせている状況こそが、『バクマン。』の確信犯的なうまさと評価出来る点なのだ。事実を伝えるニュースや報道だと言われれば、(ある程度)「これは事実か、なるほどな」と納得するし、フィクションだと言われれば、(ある程度)「これはつくりごとか、なるほどな」と納得する。メディアが真実を伝えているかどうかと言う根本的な問題はあるにせよ、「断り」に関してだけはある程度信じて安心する。その大前提だけでも安心出来ないと、何ひとつ受け取れないしね。その安心を得るための基本的な情報「フィクションorノンフィクション」を半ば渾沌の渦に突き落としているのが、「フィクションだと断りながら真実と思わせるような描写をする」ことで「真実っぽい」「でもフィクションだし」と惑わすことを可能とした『バクマン。』なのである。読者を「安心させない」と言うのは、人によっては悪意や不親切を感じるかも知れないが、「創作/娯楽作品に翻弄されたい」と願うぼくにとっては、「惑わされる」感覚こそが楽しい。「真実なのか嘘なのか」と答えの出ない謎を突きつけられるのは気持ち悪いけど、その感覚もまた「翻弄されたい」と言う願望に即した状況だ。
などと思う一方、『バクマン。』で描かれている「ジャンプの実際のシステム」はジャンプなりの「情報公開」かも知れないとも考えられる。たとえば以前編集長だった西村繁男の『さらばわが青春の『少年ジャンプ』』(『さらば、わが青春の『少年ジャンプ』』)を始めとして、「アンケート主義」や「専属契約」など『バクマン。』以前に世の中に「事実」として公開された情報は幾つかある。ウラBUBKA2005年4月号のジャンプ特集に載っている情報なんかは、内部のシステムや持ち込みレポなんかもあり、こう言った外部が提示した情報と『バクマン。』と言う「ジャンプ公式サイド」から提示された情報とに符合するものが出て来ると、信憑性はかなり高くなり、「真実なのか」と断定した気持ちも強くなるだろう。逆に符合しないものがあれば、判断は難しい。外部が提示した情報に嘘や誤りがあるのか、外部が提示した情報は正しいんだけど『バクマン。』で提示出来ない類の情報であるのか、『バクマン。』はやはりフィクションでありその目的に沿った嘘やアレンジなのか、どうとでもとれるからだ。まあ、「事実であることのように話したい」人とかニュースサイトみたいなところは、折角ならこう言った信憑性の高さの検討などもすると面白くなると思う(と言う漠然とした期待がどこかに伝われば良いな)。
新連載第一回を読んだときの感想を以下のように残している。
>ただの暴露話に終始しろということではない。ジャンプ内で暴れまくることで、タブーの領域に踏み込んだりや過激な話題を集めたりすることで、ジャンプや他作家そのものを活性化出来るんじゃないかと言う妄想の上での話だ。
>こんなのショック療法みたいなものかも知れないが、(中略)『バクマン。』は、数年ぶりにジャンプを盛り上げてくれる救世主になってくれそうな予感がするんだ。
今のところこの時の期待は裏切られていない。『バクマン。』作中で「スポ根は流行らない」とした号で『どがしかでん!』が終了したり、「ジャンプにはいらない」となり契約を切られる状況として「次回作にご期待下さい」アオリをイメージカットに添えた号で『チャゲチャ』の最終ページにやたら目立たない小ささでの「次回作にご期待下さい」アオリがあったり、作家にとってはむしろ残酷過ぎるレベルでの「ショック療法」ですらある。いずれも「ジャンプにおいて受けなかった作品」に関しての話であり、シビアであることを強調しているだけとも思える。負の要素しか描けないのでは、あまり「活性化」とも言えないかも知れない。それでも、『バクマン。』開始以前の状況が今年に限っただけでも終了作品多数だったことを考えれば、まずはジャンプの厳しい現状を浮き彫りしてこその「ショック療法」だろう。サイコーとシュージンがそうであるように、今はまだ助走期間。
それにしても、「イケメン高校生が何股かけられるか真剣に競う話」はものすごく読んでみたい。「真剣」であることが重要で、たとえば福満先生の言う「自動的にヒロインがいる」状態なんてのは持ってのほかで、イケメンであったり女性にもてたりには理由やそのための工夫や努力などもあると言うことがきちんと描かれると言うことだからだ。異性にもてる/もてないなんてものは、生まれもって備わった能力だけでなく、その人間の行為次第でもあると思う。「ひんしゅくを買う」かどうかはやり方次第で、例えばどんな風に描いても「妬み」と混同して反感持つ層はいるだろうから、あんまり構えなくても良い話だ。そろそろ、真っ向勝負で「男女の恋愛」を描き、人気のある少年漫画が生まれて来て欲しい。それに、シュージンには今まさに「女性と付き合う」と言う環境が用意されている。作品を生み出すためにはアイディアや発想力も必要だろうが、経験や体験をすることだって大事だろう。他の作品書いてても良いから、このネタは密かに温めておいて欲しい。
まあ正直サイコー&シュージンがそこまでのものを描けそうかと言うと、現時点では甚だ疑問だし、どっちかと言うと別のジャンプ(志望)作家が『バクマン。』に出て来るアイディアをパクったって良いんじゃないかと思う(+アレンジもして、の話だが)。こう言う細かい一つ一つの要素もまた、ジャンプ全体の活性化を期待出来る一端だ。
(追記)
「すべて」の意味のつもりで「すべからく」と誤用していた部分を修正しました。ご指摘ありがとうございました。
作者:umu
更新日:2008年11月2日 19時51分
乳房の先に円形のものが見えてはいけないなら、どうするか
大亜門先生の最近のサイト記事を受けての、超どうでもいい話です。
★参考:修正基準 - 滅亡へのカウントダウン
>ちなみに私が知ったジャンプでのおっぱいの修正基準は、「乳房の先に円形のものが見えてはいけない」というものでした。
>「これは二プレスだ」と言い張っても、上記の理由で却下されたことがあります。
乳房の先の円形のものと言ったら、現行連載陣の中では、『ToLOVEる』の「単行本掲載時に、ジャンプ本誌掲載時は明確に描かれていなかった女性乳首の加筆」が最も顕著な例として挙げられると思いますが、大亜門先生の言う「ジャンプでの」と言うのは「本誌掲載時での」と言う意味だとひとまず断定し、話を進めます。
ただ恐らくですが、まず第一に「乳首を描写したら有害図書」と言う程の明確なラインはない筈(たぶん)で、あくまでも「社会的配慮」とか「文句言われないための予防線」程度の自主的な取り決めであって、今週の『バクマン。』での編集長の言うような「面白ければいい」に沿ってさえいれば多少の逸脱もOKなのでしょう。それが『ToLOVEる』などでの単行本の状況にも繋がっている、と解釈します。また、大亜門先生は「ジャンプでの基準」と言いますが、それはもしかしたら大亜門先生だけに課せられた基準かも知れないし、作品/作風に合わせたものかも知れないし、編集(担当者)の方針であるかも知れません。その辺の細かい部分を端折っての「ジャンプでの基準」と捉えても良いかなと思います。
「円形のもの」と言う言葉は非常に曖昧で、それは完全な円を指すのか部分的な弧も含むのか、平面での円を指すのか立体的な球状のものも指すのか、はっきりとはしませんが、漠然と類推されるもの全てをひっくるめる意図でもって「とにかく乳首や乳輪を描くな」と端的に言い表しているのかも知れません。
逆に言えば、曖昧な表現の隙さえ突けば良いのです。代表的な描写の一つとして、「円」や「球」ではなく「突起」として捉えるやり方があります。乳房の円と乳首との接点に本来ある谷を排除し、なだらかに繋ぐことで「突起(収束点)のある乳房」として描き、結果的に乳首を連想させる方法ですね。肌に張り付くほどの衣服でなければ、谷を無視した着衣の流れでもって同じ効果を得られるでしょう。更には、実際に収束点を描かずとも、乳頭部に向かって線を消失させることで「そこに乳首がある」と読者の想像力に委ねると言う手もあるでしょう。乳首が下になるように向きを変えた乳房に水や汗を垂らせば、雫や液体で包むことでもまた「そこに乳首がある」と想像させることが出来ます。要は、「乳房の球だけに留まらないものが表面(頂点)にある」と読み取らせれば良いんですね(陥没乳首とかそう言う方向の話もあるけど、ひとまずおいといて)。
しかしそれでも尚、乳首を明確に生々しく描かねばならないと言う使命に燃えるジャンプ作家がいた場合、何とかならないものでしょうか。現行連載陣で、その必然性を予測出来る作品はないでしょうか。
『ヘタッピマンガ研究所R』は、河下先生ゲスト回で言及しなかった以上、可能性は「ない」と見て良いでしょう。『いぬまるだしっ』や『銀魂』あたりならとんち的な革命は起こすかも知れませんが、画力やギャグ要素の強さも含め、気にかける程のものではなさそうです。『ToLOVEる』は「単行本で描くからそこで満足」と作者も読者も考えていそうですが、惜しむらくは、リコやルンの乳房をまな板にしなかったことでしょうか。性転換キャラの女性時に平らな胸で、男性時のみ乳首を描写と言う設定にしておけば、結果としてリコやルンの乳首描写をしているも同然な状態だったのに…。『バクマン。』では作画的な問題として取り上げてくれても良いですが、萌え絵を非難するシュージン&サイコーコンビがそんな話題を持ち出すとも考えられません。新妻エイジが「描きたい」と我が儘を通す展開も良いですが、どっちにしろそんなしょうもないことで話を消費するとは考えたくないです(嘘、本当は考えたい)。
と、そう言えば早々に乳房ネタを扱った新連載作品があったのを思い出しました。『アスクレピオス』です。外科手術で扱うものこそ肉体の各部位であり、『HUNTER×HUNTER』でも見られたような修正が入る内臓や肉体の切断面までも描写する作品です。
ここで、「修正基準」である「乳房の先に円形のものが見えてはいけない」を思い起こしてください。これを丸々逆手にとると、「乳房の先に円形のものが見えない=乳房の先に円形のものが存在しない=乳首がない」状態であれば、描いてもOKと言うことになるのです。また、「乳房の先以外の場所に円形のものが見えてもOK=乳房の先以外の場所に乳首が見えてもOK=切除された乳首が見えてもOK」と言うことにもなります。
鼻を別の部位の肉を使って移植生成した回のように、切除された乳首部分に別の部位(=乳首ではない、円形ではない)の肉を移植生成する話であれば、何のお咎めもなく描写できるのです! …移植する必要があるかどうかはわからないし、この話にエロスを感じるかどうかも甚だ疑問ですが…。すみません、これが「超どうでもいい話」の結論です。
ところで、「ニプレス」が却下されたとか言ってますが、「星型の乳首」と言う設定をありのままに描写したと言うだけでも『太臓もて王サーガ』は一つの革命を起こしたと思います。まんこの両脇の肉までは露出可能だからフロントT水着をその肉で挟み込んだってOKと言う最近の着エロ系アイドルイメージDVDなんかに顕著ですが、制限に引っかからない描写なんて、アイディア次第でどうとでも出来るんですよね。本文中では乳首にしか触れてませんが、恥部全般や行為などを想起させる描写全てに共通して言えることばかりでもあります。想像力や創造力の可能性は無限大なのです、故に創作は素晴らしいのです!(←真に言いたいことはこれね!)
ここからは更に余談。以前にもどっかで書いたかネットラジオで発言しましたが、いわゆる「恥部」を隠すと言う考えはまだわからないでもないのですが、何故女性だけが「乳首」を隠すのかは、未だによくわかりません。だって老若男女ともに等しく持っているもので、隠してあろうがそこに何があるのかはバレバレじゃないですか。性器であるならまだ、性差がある以上隠し通すことは可能でしょうが、乳首は納得が行きません。どうせ隠すのなら乳房にしてはどうでしょうか。乳首だけ露出して、乳房は必ず湯気とかで覆い隠す。
まあいずれにせよ、躍起になって隠されるからこそ露出や想像させたときに興奮出来るのであって、何を隠そうが特に意味はないんですよねえ。要は、「乳首を、隠すべきものとして扱い、結果的に重宝がりたい」と言う大多数の意向が反映されていると言うことなのかも知れません。でもそれって「障害があると意識するからこそ障害を乗り越えたいと燃える」みたいなものであって、何だかめんどくさいとも思ってしまいます(もしかしたら「乳首は代表的性感帯だから」と言うような視点での理由もあるかも知れませんが、それにしたって「躍起になって隠される=代表的恥部」だからこそより「性感帯」として重視する錯覚に繋がっているんじゃないか、などと根拠なく考えたりもしています)。
ぼくなんかは「見たいものが幾らでも見れる」方が嬉しいし、「障害のない」と言う点に限れば「単調」に繋がるのかも知れませんが、「見れるからには色んな見方を楽しめる」と考えたりも出来るわけで、「障害のないこと」にだって拡張性はあると言えますよね。つーことで、「顔や肌を一切露出してはならない」「男女が接触してはならない」レベルの罰でも課せられない限り、「異性フェチ」にはたまらない世の中であることに間違いありません。麗子のレアな入浴シーンなんかより、河下キャラの手首とか膝裏とかがばんばん見れることの方が重要なのです。女性と電話しただけで勃起しそうな福満先生のような体質は、幸福と言わざるを得ないのです。
作者:umu
更新日:2008年10月29日 4時7分
同人誌『初』委託通信販売最終50部の予告
ぼくが主宰したサークル『初初限定。』の同人誌『初』の、最終販売のお知らせです。9月末と同じく、同人誌通販 MagazineStore MAGMAGにて追加通信販売を開始させていただく予定です。本日50冊ほど納品発送したので、販売サイトへ到着&手続きが完了し次第、自動的に開始する予定です。開始するまで商品紹介URLがわかりませんが、入手をご希望されている方はこの機会を逃さないようちょくちょくMAGMAGの方でチェックしてみておいてください。在庫は全て納品したので、本当にこれで最後です。よろしくお願いいたします。
作者:umu
更新日:2008年10月28日 0時42分

